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2007年09月16日
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安倍晋三の父親は、政治記者あがりだったことは有名だ。

しかし安倍晋三の祖父安倍寛は、山口県議から、戦前衆議院議員になっている政治家の
血筋で、政治エリートであることは間違いない。父親安倍晋太郎氏の毎日新聞政治部記者時代は、やはり通過点だったのかもしれない。ちなみに、バンソウ膏の赤城徳彦元農林水産大臣殿の父親は、赤木宗徳で晋三さんの祖父安倍寛と戦前衆議院議員で同期だったとか。お友達内閣のルーツは、1937年の衆議院議員選挙以来のよしみというものだろう。

ただ、岸信介の秘書として政治家見習いを開始したという晋三の父親だった安倍晋太郎がマスコミ人だったのは、たまたまのこと。もともと政治家秘書にマスコミ人がはいるのは余程政治的に大物の場合にのみ、たまにある特殊なパターンのようだ。つまり、青木元参議院幹事長の後建てあの舛添要一先生が、無派閥で奮戦できているというようなかたち。自民党の長老が、手先としてテレビ妖怪や気鋭の学者を使うという伝統になっているらしい。

存命の時期にはテレビでよく顔をみせていた政治評論家の伊藤昌也氏は、自分らが小学生時代の顔。高度経済成長ご本尊にして、所得倍増計画をぶちあげた池田勇人の元秘書。やはり相当な大衆受けを狙った池田勇人が世論形成の第一歩に自分のファンだった政治記者の伊藤昌也を、可愛がって秘書にしたものらしい。

田中角栄も、マスコミあがりの秘書を二人。日本列島改造論は、秘書そのものがゴーストライターをやれるだけの筆致と構想力があったということかもしれない。

学者好きだったのは、大平正芳で彼は自身では弁がたたない代表のように言われ続けたためか周囲には、多数の学者を配して政治記者に依存する姿勢はあまり巷間には流れてこなかったような記憶がある。

自分の育った時代を思い返すと、権力者中の権力者が学者あがりやマスコミと構造的に癒着というのか、野合というのか、併走というのか、協働というのか、いずれにせよ相補的な関係性にあるという事がよく見えてくる。おそらく中途半端は駄目で、飛びっきりの実力も兼ね備えた論客が、権力的な中にも権力的な実力者に融合したときに、相互に実力を開示できる機会をかたちにできるらしい。この消息については、多少普遍的なものがあるのだろう。

ところで、次期内閣総理大臣と嘱望されている福田康夫君はどうだろうか。

彼の場合には、最高権力者というよりも森、小泉の「アメリカ都合構造再編」派の利益代表という印象がどうしても強い。そもそも秘書に、長男でマスコミからも毛嫌いされている福田達夫ジュニアを配しているあの飯島勲が、小泉の福田擁立にぶち切れてトウトウ小泉純一郎の秘書を辞職するという展開も興味深い。飯島がいいとか、悪いとか。野次馬には到底理解ができない世界だが、福田一家が、反マスコミというのか、役人官僚と中国の使いパシリであることを青テント国民は銘記しておこう。








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最終更新日  2007年09月16日 08時56分17秒
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