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カテゴリ:past life memories
海王星に呑まれて作業しちゃうもんだから、ついつい
時間の概念がぶっ飛んで、気が付いたら烏が鳴く時間、 なんていう、ここ数日間。今晩はいい加減眠いし、さっさと 寝てしまおうと思っていたんだけど。 昼間、ちょっと衝撃的だったので、忘れてしまわない内にメモ。 おとといくらいだったかな、新聞の記事にアンテナが反応した。 プーランクという作曲家が作った、"カルメル派修道女との対話" というオペラ公演についての記事だった。と言っても、慌ただしく していたから、記事をじっくり読まないまま、新聞はいつの間にか どこかに片づけられていたのだけれど。 ぱっと目に入って、その瞬間、あ。。。って思った。 カトリックの修道女、つまりシスター達の殉教がテーマになった オペラらしかったから。 昨日もずっと気になっていたんだけど、なにせ肝心の新聞がもう 手元にないので、今日、仕事の合間にネットで検索をかけて あちこち調べてみた。18世紀、フランス革命間近の史実に基づいた 内容のオペラらしい。 "オペラ座の夢の夜"という、aineさんという方のHPで、ストーリーを 上手にまとめてあったので、そちらを参照になさって下さいませ。 http://homepage2.nifty.com/aine/opera/opera25.htm で、検索かけて、あちこち読んで回っていたら、ちょっと怖くなって しまった。 今日はただでさえ、lunaticで、心の平安を保つのが 難しかったというのに(ーー; ☆☆☆☆ 何番目に見た過去生だったかな、確か二回目か、三回目の時 だったと思う。いきなり、血にまみれたシスターが、横たわって いて、神に対する激しい憎悪の気持ちのエネルギーをあたしに ぶつけてきたのだった。 元々、過去生の情報は、自分で見たい、と思って見ていた訳 ではない。最初に見た、首を切られたシャーマンも、その次の インカの小さな巫女さんの記憶も、自分で取り戻そうとして 見た訳ではなかったのだ。 ただ、たまたま偶然、その前後 数ヶ月に渡って、あたしは何度か過去生の魂が置き忘れて いったエネルギーを、何故か見せてもらってた。 最近はそんなこともほとんどなくて、石をおでこに乗せたまま ベッドに横になって目を閉じても、過去生の記憶だなぁ、っていう 情報は、あまり見なくなった。何でだろう?ってちらっと考えた ことがあって、でも、当然のことのように、本当の理由なんて わからない。ただ、あの時のあたしには、自分の過去を知る 必要があったから、あの数ヶ月の間に、何度も色んな過去生の 記憶をみたんだろう、と考えたら何となく腑に落ちた。 ☆☆☆☆ さて、シスターだった時の記憶だけど、その頃、ちょっと前から 気になって仕方なかったセレナイトの、綺麗な玉み出会って、家に 来て頂いたばかりだった。セレナイトは天使の世界に近い石、という 知識をどこかで拾って以来、なんとなく興味が沸いてきて、たまたま QACで手頃な方に出会ったので、連れて帰ったのだ。 当時、何でか知らないけど、あたしは、自分の体を通して石に エネルギーをチャージしてみよう、という発想に突き動かされて、 手持ちのクリスタルを幾つかと、自分の体を媒体にして、新しく 出会った石さんを迎え入れる、変なワークをしていた。 その日も、さてさて、この新入りのセレナイトさんを浄化しましょう、 と、あたしにとってのシャーマンキング的なクリスタルと一緒に ワークをしていた。椅子に座って、クリスタルを頭に乗せて、 セレナイトの玉を手に持って、静かに目を閉じていたのだった。 そして見えたのが、血まみれで倒れているシスターだったのだ。 激しい怒りと憎悪のエネルギーをまき散らしていた。神を恨み ながら亡くなっていったんだな、と思った。そのあまりに激しい ネガティブなエネルギーに、あたしは段々居ても立ってもいられ なくなり、這々の体で、以前クリスタルヒーリングの最中に 出会った自分の過去生を、光の国に帰してあげて、とQACの 直子さんに教わった方法で、そのシスターを光の中に戻して あげるのが精一杯。 光に上げた後は、胸が苦しくて、もう椅子に座っていることも できなくなってしまい、そのまま床にばたりと倒れたまま、 動けずに小1時間くらい、寝たきりになってしまったのだった。 ☆☆☆☆ あのシスターが誰だったのかはわからなかったけど、でも あたし自身のチャートから推測できる、過去生の自分の姿に あまりにもぴったりで、きっと彼女もあたしの過去の記憶の 一つだったんだと思う。 シスターで、黒い制服を着ていて、多分外国の人だった。 カトリックの信者だったことは間違いなくて、でも、きっと まだ近代国家になる以前のシスターだろうな、と感じた。 どうやら、彼女は婦人病を患って亡くなった感じがしたのだ。 修道女として神に仕えて、己の持つ全てを神に捧げたのに、 どうしてこんなに報われない死に方をしなくちゃいけない? という神に対する恨み節だった。 彼女の記憶を取り戻したことで、あたしは人間の憎悪の持つ エネルギーの破壊的な凄まじさを身をもって体験し、それだけの パワーが自分の中に潜んでいることも理解した。人を恨むこと、 人を呪うことをタブーとすることの本当の意味を知ったのだった。 あれだけ人を悼み付けるエネルギーを孕んでしまう、ネガティブ な感情。そんなに恐ろしいエネルギーを人に発してしまったら。 きっと相手もおかしくなってしまうだろうし、作用反作用の 法則や、呪いをかける時には穴二つ、という言い伝えのように、 結局はまわり回って、自分にそのエネルギーが更なる負のパワー アップを伴って戻ってくることを考えたら。。。まじで恐い(泣 ☆☆☆☆ カトリックのシスターだった、ということまで分かったから、 それ以上、一体彼女は誰だったんだろう?と考えることは あまり意味のないことではあるのだけれど、それでも時折 彼女のことを思いだしていた。 マウイで、janeannのワークショップの二日目に、the funeral ceremonyというワークを行った。自分の捨て去りたいものを 葬って、弔いましょう、というワークだった。 自分にもう属さない、捨ててしまいたいと感じる石をピックアップ して、というjaneannの号令がかかり、ランチを挟んでそのワークは 続けられたのだけれど、途中で一服しに外に行ってしまったあたしは janeannの"ピックアップする石は四つ"という指示を聞き漏らして いて、あ~イヤだ、もういらない、沢山だ(ーー;と感じた石を 7つも運んできて、グリッドにレイアウトしたのだった(笑 その中の一つが、キャストライト(アンダルーサイト)だったよう なのだが、通常キャストライトに現れているクロス模様が、真っ二つに 半分に割れているものだった。janeannのワークは、とにかく直感で 選ぶことを重視するので、その時も深く考えずピックアップした だけに、後々になって、何であの石だったんだ???と自分に 驚く。半分に割れた十字架って、何?何事?あたしは何を捨てたい と感じているの?って。 ただ、確かにあたしにとって、カトリックに象徴される、古い 宗教のシステムは、もう二度と戻りたくない世界で、それは今生の あたしにとってももちろんそうなんだけど、きっとそうする事が、 過去を生きた魂にとっても救いとなるんじゃないか、という気は していて。 何度も神に仕えながら、時に自分の命を生け贄として捧げたり、時に 神に仕える能力を持つ自分の身を悲しんだり、時に諦観を抱きながら 修道院で過ごしたり、神に献身的に仕えながらも、報われた思いを 感じることのないまま、病死してしまったり。結局、なんだか 哀しい彩りが漂う神との関係ばかりを築いてきてしまった自分を、 今生でやり直す必要があるんじゃないか、と、そんな使命を感じ つつあって。 それなのに、マウイでの日々以来、あたしが背を向けて、二度と 戻るものか、と拒絶してきたカトリックの世界に通じるシンボルが 何度も何度も去来するのだ。 ☆☆☆☆ マウイでは、doveというシンボルがあたしに迫ってきた。 これは腹を抱えて笑い死しそうなくらいだった思い出と 共存するシンボルなので、heavyなthemeだけが突出した ものではなかったのだけれど、少なくとも、マウイにいた 間は、あたしはdoveというシンボルを受け入れることは できなかったし、この先も受け入れることはないだろう、 と確信したまま、日本に帰ってきたのだった。doveも、 カトリックの世界では重要なシンボルのひとつだから。 が、その確固たる思いはもう既に脆くも崩れ去り、今では あたしの名刺にdoveが羽ばたいているくらいの勢い(笑 それから、マウイにいる間、色んな聖地で瞑想をしたけれど、 その時にも十字架が見えたり、まるで十字架を連想させる ような、"トンボの神様"が、友人のエネルギーをリーディング している最中に繰り返し出てきたり。 ☆☆☆☆ つい先日は、友人のエネルギーをリーディングした時に十字架の イメージが出てきて、それは多分、隠れキリシタンに関わる ものだろう、という結論に至った。その友人とは、多分、いつかの 過去に、どこかで共に修行を積んだ仲なような気がずっとしていて、 彼女が隠れキリシタンに関係あるのなら、もしかしたら、あたしの 中にも、その過去があるのかもしれないなぁ、とあたしは感じた。 そして、先日の新聞に出てきた"カルメル派修道女との対話"という オペラについての記事。時代の流れの中で、自分達の信じてきた 神の世界が糾弾され、信仰を捨てるくらいなら、と、シスター達が 自ら殉教する事を申し出て、最後はギロチン台に上がって命を絶つ、 という壮絶なストーリーらしい。 そのオペラのラストに流れてくるのが、有名な聖歌で、"サルヴェ・ レジナ"という賛美歌ということなのだが、あたしも昔聖歌隊に 所属していたし、学校で行われたミサでも、確か年に一度、サルヴェ・ レジナを歌うミサがあったように記憶している。 そのサルヴェ・レジナを歌いながら、次々とギロチン台に上がって、 亡くなっていくシスター達、という凄まじい終幕でオペラは終わるの だそうだ。全く、宗教って。。。神と生きることに、宗教や教会という システムを導入してしまから、こんな悲劇が起きてしまうんだ、と今の あたしなら理解できるのだけれど。 ☆☆☆☆ 先に紹介したHPにまとめられた概要の中では、主人公の少女と 仲良くなった、先輩シスターが1人登場するらしく、彼女達の 友情もこのオペラの一つの軸になるらしいのだけれど、この 二人のシスターと、先日リーディングした友人とあたしが、 何故だかオーバーラップしてしまって、ひょっとして、シスター だった時のあたしの記憶って、この事件に関わりあるのかな? と思ったのだけれど。 もう一度概要を丁寧に読んでいて、更にぎょっとしたのだった。 主人公の少女がシスターとして修道院に迎え入れられてすぐに、 修道長であるシスターが1人、病死するらしいのだが、その シスターが、なんと、神を冒涜しながら亡くなっていく、という シーンがあるというのだ(^^; これって、あたしが見たシスターの記憶と見事に符合しちゃう。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 29, 2005 04:50:33 PM
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