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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2006.01.19
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カテゴリ:ヒラカワの日常
毎日
刺激的なものばかり食っていると
食物の自然な味というものが
わからなくなる。

それで、
カロリーがいくらだとか、
ビタミンがどうだとか、
果ては生産者は誰かなんていうところまで
溯り、肥料の数値まで参考にしだす。

食い物というものを
いつからか、人間は頭で食うようになった。
時計が12時を指すと
昼飯を食わなければならない。
野菜が不足しているから
無理にでもサラダを子供に食べさせる。
今日は忙しいから
無視してでも腹に何か詰め込んでおこう。

俺もそうやって、
頭で食って、始末のつかない脂肪が
腹の周りで居座っている。
ストレスを紛らわすために、
ポテトチップスを無理食いするなんてことも
あるのかもしれない。
あまり偉そうなことは言えないのである。
それでも、
本当は、身体の奥底から湧き上がってくる
食欲というものに促されて
食いたいものを食って生きていくというのが
動物としての人間の自然のありようだろうと思う。
それを命じているのは生存への遺伝子とでもいうべき
ものかも知れない。
問題があるとすれば、
身体の奥底から湧き上がる純粋な食欲といいうものが
減退し、それに代わって
頭の中で無際限な欲望が作られて
それに慣らされてしまったということだろう。

ライブドアの賭博ビジネスを見ていて、
何でひとは
ちょっと前、六百万円の資本金が
数千億円の時価総額に膨れ上がることを
急成長であるなんて思ったのかと
考えてみた。

いや、考えるまでも無い。
100センチの身長の子供が
五年間で身長5メートルになるような変化を
急成長とはいわない。
よくても病気、もっといえばすでに死んだものの
亡霊である。

急成長神話というものが
ビジネスの世界を席巻したのは
90年代のITバブル期だったと思う。
会社というものにとって、
急成長とは病ではあっても、僥倖であると思わないほうがいい。
勿論、会社が健全に数パーセントで成長してゆくことは
経営者にとっても、社員にとっても好ましいことである。
しかし、度を越した成長は、
ビジネスというものが、別ななにかに転移してゆく、
病的な兆候だと思ったほうが自然なのである。

俺が尊敬する経営者のお一人である
伊那食品の塚越社長とお話したことがある。
彼は「利益を出さないことが経営の極意」と
おっしゃって、毎年の利益率をなるべく低く押さえ込むことに
腐心しているという。
「ヒラカワさん、5%の成長はでか過ぎるよ。せいぜい3%だな。」
このことの意味がわかる経営者は多くはない。
自ら創業し、社員と苦楽をともにしながら
想像の共同体(@ベネディクトアンダーソン)を作り上げたものにしか
わからないものがある、と俺は思うのである。

あたりまえの摂理というものが
「法」や「数値」に先立って自然界を支配している。
そのことが、見えなくなったときに、
その社会は崩壊に向かい始める。
「法」も「数値」も、人間の生存への遺伝子を代替することは
できない。
突然変異的なトリックスターはいつの世にも
現れる。
しかし、これを病変であると感じられなくなる
浮世の側が、正気を取り戻すのは
絶望的に難しい。
「動物化するポストモダン」なんて言ったひともいたが、
動物としての生存バランスを欠いた生きものに
俺たちがなってしまっていないという保証はない。
まいるよね。

(おっと、ここでお昼休みが終わってしまった。)





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最終更新日  2006.01.20 10:25:38
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