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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2008.02.29
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カテゴリ:ヒラカワの日常
(その1、その2からの続きです。二つ前のエントリから順番にお読みください。「作者」)

ふりだしに戻る

さて、以下は蛇足であり、同時に一番最初の問いに対する私の答えでもある。
浦島伝説には色々と解釈があるが、その中で、私が最も心引かれるものは、太宰治の「お伽草紙」に収められている「浦島さん」である。

─ 淋しくなかつたら、浦島は、貝殻をあけて見るやうな事はしないだらう。どう仕様も無く、この貝殻一つに救ひを求めた時には、あけるかも知れない。あけたら、たちまち三百年の年月と、忘却である。これ以上の説明はよさう。日本のお伽噺には、このやうな深い慈悲がある。
浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたといふ。

太宰は、浦島太郎の物語を時間に復讐されたお話と考えたくはなかった。時間はときに人間に残酷な仕打ちをするが、同時に忘却という慈悲を与えてくれる。

お金というものが、かくも魅力的に見えるのは、それが人間の欲望を、いとも手近に適えてくれる道具だからである。だが、それだけではない。お金には人の苦労や、忍従や、血や、汗が染み付いている。そしてこういったものの総和が人をお金の周りに呼び寄せる。
はじめのお金は商品を受け取ったことに対する返礼として相手に渡された。それが、人の手から手へ、様々な意味を付与されながら受け渡される。時代から時代へその価値を変えながら送り届けられる。しわくちゃになった、一枚のお札をじっと見つめていると、その紙切れが辿ってきた時間が見えてくる。
それは、どこか遠いところにいる無数の誰かが爪に火を点しながら生み出したかもしれない。人の手から手へと渡されたり、騙し取られたりする間に、それがもともと何処にあったのかが忘却される。残るのは宙吊りになった苦労や、忍従、あるいは憎悪や軽蔑である。
軽率に札束に手をだせば、必ず宙吊りの怨念に復讐される。根拠はないが、そんな気がする。そうじゃないと、貧乏人はやってらんねぇじゃねぇか。いや、そういった貧乏人のひがみが復讐に手を貸すのかもしれない。
時間はときに人間に残酷な仕打ちをするが、同時に忘却という慈悲を与えてくれる。お金はときに飢えや寒さをしのぐ慈悲となるが、同時に昨日の友を敵に変え、愛を憎悪に変える。
ここまできて、最初の問いは、実は問いではなかったと気付く。ふたつの魅力的なオッファーは、いまの自分を見つめよという教誨であった。
足るを知れということである。
目の前のお刺身に気をとられて、あやうく「俺はこっちさ」なんて、即答しなくてよかった。





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最終更新日  2008.02.29 15:34:44
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