カテゴリ:ヒラカワの日常
長く生きているといいこともある。
小関智弘さんから、懇切なお手紙をいただいた。 六月に洋泉社新書から出ることになった 『反戦略的ビジネスのすすめ』(旧題)の帯び文を この人しか考えられないということで、洋泉社の渡邊さんと相談して、 小関さんにご依頼申し上げていたのである。 その折に、 ラジオデイズのコラムの写しを同封した。 そのコラムはこんな風に終わっている。 ― 小説のほうの代表作『錆色の町』と『羽田浦地図』は、テレビドラマになった。主役の旋盤工を緒形拳が演じたらしい。私はそのドラマを見ていない。手元にある『羽田浦地図』のあとがきを読むと、緒形拳が、小関さんに「なぜ旋盤工をやめないのか」と問うたと書いてある。小関さんが答えると「その生きかた、いいですねえ」とうなずいて翌年の年賀状に「牛はのろのろと歩く」と書いて送ったそうである。 いい話である。 小関さんは、簡潔にただ「答えた」と書いているが、どのように「答えた」のか、その内容は書いていない。いつも、ここが気になっている。 そして、小関さんのお手紙は 「ご依頼の件のほかに、頂いたコラムの疑問にお答えしなければと、ずっと気になっておりました」と切り出されていた。 小関さんは、四度文学賞にノミネートされている。出版社からは、作家業専念への強い勧誘があった。旋盤工をやりながら、同人誌に小説を書くということを続けるということは、どこかに作家への強い憧憬があったはずである。それにもかかわらず、小関さんは出版社の誘いを断り、2002年まで油にまみれた現場に立ち続けたのである。その理由を、小関さんはどのように説明されたのか、それが気になっていたのである。同時に俺には、何となく小関さんのお気持は分かっているというような気持になっていた。 お手紙には、その理由が綴られていた。 私信でもあるので、その内容はここには書かない。 ただ、齢七十五歳になられたいま、「あの時の選択は正しかったと思っております」と言える小関さんを、俺は信用するのである。そのお言葉を信用しているわけではない。 そこには、おそらく、余人をもっては掴み得ない陰影が含まれているに違いないからだ。 ただ、生きることは何かを断念することであるということを、 このような形で示してくれる小関さんの生き方を 俺は信頼しているのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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