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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2008.04.08
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カテゴリ:ヒラカワの日常
まるへの気持のこもったお悔やみレスや、メールありがとうございます。こころよりお礼申し上げます。実は、最初に俺のところにやってきたのは、まるではなく、血統書付きのラブラドールでした。チビ太と呼ばれた真っ黒い子犬だったのです。それが、どうしてまるに変わったのか。そこには、ちょっとした機縁が働いていたのですが、その辺りの事情について、ラジオデイズのコラムに、近日中に掲載する予定ですので、お読みください。一部は、前回のエントリと重複していますが、ご報告を兼ねて書きました。題して『飼い犬の遺言』です。

さて、以前に予告したNTTの非売雑誌、Mobile Society Reviewに掲載した文章を、このブログで掲載します。今回は、その1です。

利便性の向こう側に見える風景(その1)
平川克美

限定としての身体

 当たり前のことだが、人間は裸で生まれてくる。裸というのは、衣服を着用していないということだけを意味しているわけではない。二本足で歩行し、数百メートルを見通す目を持ち、数十メートル先の人間に届く声を発する機能を備えた身体として、それ以上でもそれ以下でもない生身の身体として生まれてくるという意味である。生身の身体は、しなやかに環境に順応し、成長とともに機能は強化される。しかし、どこまで身体能力が強化されようが、人間は鳥のように空を飛べるわけではないし、豹のように草原をハイスピードで駆け抜けることはできない。成長はやがて止まり、老いへ向かって機能は徐々に衰えてゆく。このことが意味しているのは、身体機能は、人間を自由にするが、同時に機能限定的な生き方を強いるということである。この限定を解き放つために、人間は自分の身体の外延に機械仕掛けの道具を装着することを思いつく。そうやって自動車が生まれ、船が作られ、飛行機を発明してきた。
確かに裸の人間は、自らの身体も含めて自然の摂理というべき制約の中で生きている。しかし、機能を限定された人間の身体、つまり数百メートル先の文字を読むことはできないということや、山を越えた谷間の仲間に届く声を持っていないということや、隣の村までの距離を一足飛びに駆け抜ける脚を備えていないということは、ただ限定的な機能であり、ひとつの不可能性であるという以上の意味は持っていないのか、と考えてみる。つまり、機能が限定されているがゆえの利得というものが人間にはあるはずだ、と。これは馬鹿げた考えだろうか。
人間の身体とは、考えられうる限りの複雑なシステムである。どのようなシステムであれ、それを維持し、永続的に運用してゆくためには、システム全体を支えているサブシステム間のバランスというものが重要なことだろう。私事で恐縮だが、私の身長は160センチで止まってしまった。私の弟は私より10センチ背が高い。小学生の頃、私は鉄棒を習い、胸や肩には子供らしからぬ盛り上がる筋肉がついていた。この筋肉が、骨の発育を圧迫することになったと後に聞くことになる。そういえば、体操の選手は、総じて背が低い。反対に、視覚に問題を持った人間は、通常以上の聴覚や、身体感覚を獲得するという。胃ガンで胃をまるごと切除した患者の食道は、やがて胃の代理をするとも聞いたことがある。脳の機能について分かっていることはほんの僅かであるとも言われている。知覚野をつかさどる脳の部分に致命的な損傷を受けた患者が、知覚を取り戻す。調べて見ると他の部位が機能代理をしていた、といった話も聞いたことがある。このうちのいくつかは、思い込みや、迷信の類かもしれない。ただ、すべての生きるものは、何かの機能を失うことによって、必ずそれを補うような別の能力を開発するということは信じてもよいように思う。同時に、何かの機能を得るということは、必ず何か別の能力を失うということもまたあり得べきことのように思えるのである。
さて、この小論で私が試みたいのは、テクノロジーの進歩が何を人間にもたらすかということではない。人間に利便をもたらすテクノロジーは、その進歩を止めることも、引き戻すこともできない。進歩すること自体は、自然過程だからである。そして、テクノロジーが、人間に何をもたらすかは誰もが言い当てることができる。かつて鳥を見て空にあこがれ、豹を見てスピードに憑かれたように、人間は自らの身体の限定の外側へ外側へと自らの身体性を改鋳してきたのだ。手仕事は自動化され、テレビは世界中のニュースを映し出し、移動手段はより高速化される。
だから、テクノロジーの進化が何を人間にもたらすかということではなく、何を人間から奪いとるのかということについて考えて見たいのである。テクノロジーの進歩によって、人間は裸の状態に有していた力を遥かに凌駕する能力や機能を獲得したように見える。同時に、獲得した機能と同等の何かを喪失しているかもしれないということである。
(その2へ続く)





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最終更新日  2008.04.10 23:59:06
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