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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2008.07.05
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カテゴリ:ヒラカワの日常
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さて、本日はラジオデイズの最新コラムの転載です。このブログで書いたものをふくらませたエッセーですが、お読み下さい。


サンノゼの鳥

 一年に数回、出張でアメリカを訪問する。その時も、サンフランシスコから車で一時間ほど走ったところにあるちょっとスノッブな雰囲気の街、マウンテンビューのクレストビュー・ホテルに投宿した。このエル・カミーノ通り沿いにある宿は、設備がいい割には安いのが気に入っていた。今回の出張がいつもと違うのは、これが最後のビジネス出張になるかもしれないということであった。
私は、十年間続けてきた小さな会社を閉鎖するために、寒い東京の二月を抜け出して、陽光の降り注ぐ北カリフォルニアの小さな町、サンノゼにやってきたのである(サンノゼのオフィスからマウンテンビューまでは車で二十分。)もともとその会社は私が作り、私が代表をしていたわけではなかった。日本のある非営利団体(当時はまだNPO法人というものは存在していなかった)が、活動の資金確保を目的として日米の起業家のブリッジになるような会社をつくったのである。私は当時も(今も同じだ)、小さな会社の代表をしており、米国にもコンサルタントを雇ったりして、会社設立やら、米国でのビジネスに多少の土地勘があった。それで、その設立のアドバイザーとして呼ばれたのである。しかし、ちょっとした経緯があって、私がその会社の社長をやるはめになり、気がついたら十年が経過していた。五十路を跨いだ十年は、驚くほど足がはやい。

 到着当日は、サンフランシスコの日本人街の紀伊国屋で、一日前に現地に来ていた仕事仲間のTくんと待ち合わせて、現地の弁護士事務所と会計事務所を訪問した。そこで、今回のミッションを片付ける。翌日はサンノゼのオフィスで、日本に持ち帰る書類や、破棄する書類の仕分けや、計算書類の最終確認などの片付け仕事をしてホテルに戻った。
時差ぼけが残って眠くてしょうがなかったのだが、そのまま寝てしまうと恢復が長引くので、我慢して目を開けたままベッドに転がり、日本から持参した本を読んでいた。

 日本を出るとき何を持ってこようかと迷ったのだが、結局、鞄の中には柄谷行人の『世界共和国へ』を放り込んだ。何年も前にこの人の著作を読んだが、何を言いたいのかほとんど理解できなかった。それでも何か妙にひっかかるところがあり、これまで、何冊かの彼の難解な理屈に付き合ってきた。そして今回。大変面白かった。こ人にしては判り易くしかも、示唆に富んだ本を読んで、やはりカラタニは面白いじゃないか、いいじゃないかと、認識を新たにしたのである。

 その本には、こんな文言が散りばめられていた。『生産物交換が共同体と共同体の間に始まるのと同様に、国家は共同体と共同体の間に発生する』『商品交換は自由な合意にもとづく交換であり、その原理は略取、すなわち国家を生み出す交換原理とは別のものです。しかし、それは国家による支配の下でしか成立しない。なぜなら暴力を独占することによって他の暴力を禁じる国家と法がなければ、略取が生じるため、商品交換は成り立たないからです。』難しい話である。それでも読みながら少しどきどきした

 一夜明けて快晴。エル・カミーノというかつての伝道の道は、この地域の中央を南北に走るメインストリートである。朝、ホテルの前で伸びをしながら、一服やっていると、
あちこちから、いろいろな種類の鳥が飛んでくる。雀、ウミネコ(たぶん)、カラス、名前のよく判らない鳥。そういえば、最近は東京では雀を見ることがあまりないとあらためて思う。ここにはまだ、自然が残っている。
ここには? こことはどこだろう。高度資本主義の最先端の、その基地のようなシリコン・バレーだ。その高度資本主義の聖地に、東京で見慣れなくなった鳥たちが飛び交っているのである。私は不思議な気持になった。本当にこれらの鳥は、あの東京の空を飛んでいた鳥と同じ鳥なのだろうか。それとも、バイオ技術で生産され、実験的な都市の中に閉じ込められているクローンなのか。

ランチを、旧友のポール・タッカーと一緒に食べる。マウンテン・ビューの気品のあるイタリアン。ポールは、プリンストン大学とスタンフォード大学という二つの有名校を特待生として卒業後、この地のIBMアルマデン研究所で人工知能開発プログラマーとして仕事を始めた。そして結婚したが、生活はうまくいかなかったようだ。彼が離婚して生活を変えるために日本にやってきたとき、二年ほど、私が社長をやっていたドキュメント制作会社の社員になった。私は毎日のように、C社のプリンターの英文マニュアルを彼と一緒に作った。その時、こんな凄い奴がアメリカにいるのかと溜飲を下げたのである。以後、若い連中と一緒に、毎晩のように、渋谷の『がんこ爺い』という居酒屋で飲んで騒いだ。その後、彼はUCサンディエゴのドクターコースに入りなおし、そこの教授らとベンチャー企業を立ち上げたが、その会社は一年ともたなかった。現在は、あのグーグルのシニアプログラマーをしている。若い頃は無茶なことばかりして、よく怪我をしていたが、すっかりいい親父になっている。高級住宅地に家を買い、かわいい奥さん(彼女もグーグルでマネージャーをしている)と二人の子供に囲まれて。彼の家を訪問し、家族の写真を収めて、ホテルに戻る。

 翌朝も快晴だった。前日と同じように、(しかし帰り支度をすましてボストンバッグを脇に置いて)ホテルの前のベンチで朝の空気を吸いながら煙草をくゆらせていた。しばらくすると、また昨日見た鳥が飛んできた。そしてまた、私は少し不思議な気持になる。いったい、かれらはどこから飛んでくるのだろうか。ここはかれらにとってどんなところなのだろうか。ここは棲みやすいのだろうか。私は今日、飛行機に乗って日本へ帰る。もうこの場所には戻ってこないかもしれない。

「俺は何をしにここに来たのだろう。わざわざ日本から太平洋を渡って、言葉もよく通じない国に来て会社をつくった。そして、すったもんだの十年があって、いまこうして会社をたたんでいる。いや俺だけではないかもしれない。人間はなんで、こんなふうに複雑で無駄なことをやっているのだろうか。なんで、翼も無いのに海を越えて見知らぬ土地を踏み迷っているのだろうか。鳥たちには翼がある。自由に好きなところへ飛んで行ける。でも、自分たちの領空といったものを持っていて、そこから逸脱したりはしない。たぶん。
しかも、毎日同じ場所に降り立ち、同じところで飢えを満たし、同じところで排泄し、おなじところで死んでいく。たぶん。
かれらは略取もしないし、国家もつくらない。離婚騒動もないし、グーグルで世界制覇も夢見ることも無い。とてもシンプルだ。シンプルで、欲望が観念化していない世界。
人間だけが、国家を作ったり、会社をつくったり、ホテルチェーンをつくったり、戦略を立てて仲間を欺いたり、株価に一喜一憂したり、戦争をしたりしている。」

そんなことを漠然と考えていたと思う。そして考えながらも私は飛行機の時間を気にしていた。澄み切った空の北カリフォルニアから、陰鬱な冬の東京へ帰らなければならない。こうしてフライト時間を気にしながら、セキュリティチェックの列に並ばなければ日本に帰れない。鳥のようにはいかないのだ。気がつくと、鳥たちはもうどこかへ飛んでいってしまって姿が見えなくなっていた。私は立ち上がってレンタカーに乗り込んで、カーラジオのボタンを押した。流れてくる名前のわからない曲に合わせて心の中で唄ってみる。バイバイ、サンノゼの鳥。バイバイアメリカ。







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最終更新日  2008.07.05 22:50:23
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