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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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2008.09.24
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カテゴリ:ヒラカワの日常
コメント欄に関して、ご指摘をいただいた。根拠の無い雑言や、名指しの批判は削除して整理したらどうかという。ごもっともだと思う。礼節あるご批判は歓迎だが、見知らぬ他人に対して、いきなり「馬鹿」とか「無知」というような言葉を投げかける神経は、病理というほかはないと思う。テキストの解釈も間違っているし、こちらの気分もよろしくない。喧嘩にも流儀というものがある。しかし、これもまた、インターネットという匿名の言葉の世界の功罪のひとつだろうとも思う。その実例として、私はこれを晒しておくことにしたのである。実際、いちいち点検して削除している暇もない。そんなわけで、いまの無秩序も、しばらくは様子を見ていたのである。今後は分らない。面倒になれば閉鎖しちゃうかも知れない。勿論ご本人からの削除依頼に関しては応ずるつもりです。皆様の節度ある書き込みをお願いしたい。(店主敬白)

さて、米国の金融危機の余波と、それに伴う株価の下落、輸出の落ち込みと
ドルの急落にリンクした円高は、明確に日本の景気にも影を落としている。
そう新聞でもテレビでも報ぜられている。
実際に、小さなビジネスの現場を這いずり回っている身には、
報道が伝える以上の不気味な風圧を感じる。
この感覚は、株で直接に損を蒙った人々の感覚とは
本質的に違ったものであるというべきだろう。
株やら先物取引で損を蒙るというのは、はなからリスクを折り込んだ行為の
結果であり、まさに自己責任として
自らが引き受けなければならない問題である。
生活者の側からすれば、自ら喰った覚えの無い「金融危機」の報いで
何十年もかかって築き上げてきた顧客との取引が一気に縮小したり、
大企業の生産調整によってリストラされたり、
下請け仕事のコストカットを強要されるというのは、
自助努力の埒外に発生してくる天災のようなものである。
個人の努力や、一企業の能力には限界がある。

仕事の立場上、数社の事業報告書を毎年書いているのだが、
その書き出しはいつも決まって、業界内外の景気から始められる。
これは事業報告書には、お決まりの書式のようなもので、
株主に対しては出切るだけ主観を退けた客観的情勢と、数字を並べて
事業の現況をご説明するという形式をとる。
当然、日々の資金繰りと、注文取りに明け暮れている中小・零細企業の
現場の息づかいはその書面には顕れてはこない。
しかし、だからといって仕事の現場で泣きごとを言ってはおれない。
大人はつらいのである。

レバレッジが作り上げてきた「幻想の市場」の方は、
政府救済や、金融再編といった動きが盛んになり、
ウォール・ストリート界隈では、
昨日までの市場信仰はどうなったのかといいたいような
護送船団方式が緊急採用されている。(もともと、市場理論が先にあった訳ではなく、
効率的な利潤追求だけが目的だったので、一旦急あれば
市場原理もへったくれもないのである。
(言っておきたいが、俺はだからこの緊急処置がいけないといいたいわけではない。
責任を取れとも言わない。経済理論だけではなく、将来予測なんていうものは、
しばしば間違えるものだからだ。
ただ、間違えた理論で世間を先導したものも、それに追従したものも、
自らの思い込みが、どこで合理性から乖離し、どこで論理が届かなくなったのか
についてもう一度お考えいただきたい。自らの思考の枠組みを点検してもらいたい
のである。そうでなければ、緊急資金援助や救済策も傷口に絆創膏を張るだけの
対蹠的な処理に過ぎなくなる。

幻想価値の下落局面においてさえ、空売りなどのテクニックで
儲けているものもいるだろう。
しかし、実物の生産と流通が作るリアルな市場の縮小局面では、
総じて小賢しい戦略は通用しなくなる。
産業全体として見れば、もう何年も前から、長期的な後退局面に入ってきている。
細かくはご説明しないが、金融への過度の傾斜は、その原資を生み出している
実態経済を必然的に衰弱の方向へ向かわせることになるからである。
自動車産業をはじめとして、国内産業の国際的な競争力を失った
アメリカが国策として金融経済主体にシフトした結果が、
証券会社の自滅という結果に終わったことは、象徴的な出来事として記憶されるだろう。
実物経済を支える産業育成に基礎づかない経済活動を行っている限り、
「上げ潮」は、ついにやってこない。
だから、上げ潮を基調にした経済対策、財政対策は
ほとんどネガティヴな効果しか得ることができないだろう。
では、どうすればいいのか。

話はすこし逸れるが、1,500兆円あるといわれる個人資産(この内の半分が預貯金だそうである)を、溜め込んでいないで消費や投資に回して、市場流動性を高めることなどと、
これが世界の常識であるかのように言うエコノミストや識者がいるが、
俺は、「そりゃ、大きなお世話だぜ、銀行に預けようが、箪笥にしまいこもうが、
それこそ個人の自由じゃないか」と思っていた。額に汗して(古めかしい表現で
申し訳ない)働いた金には、その苦労の分だけ流動性が失われるのは当然である。
経済の担当者は、他人の財布の中身の行き所を心配する前に、もっと先にやることがあるだろう。あるいは、やってはいけないことがあるだろうということである。
では、何か妙案はあるのか。
しかし、これほど金融取引が世界を席巻し、財政赤字が膨らみ、不良資産在庫が
膨らんでしまえばもはや、ほとんど打つ手がなくなってしまったのである。
この度のリーマンの破綻の数日前に俺はこう書いた。

「ただ、確実に言えることは、これまでの景気循環期待や、小手先の景気浮揚策では
もはや解決不能なところへ踏み込んでしまっており、この先長期に亘って
日本は経済的な苦境に立たされるだろうということである。
もちろん、すでに九つの金融機関が破綻した米国の凋落はさらに進行し、
覇権は完全に資源国や、中国のように国策で資源メジャーを買収している
国に取って代わられることになる。だからなんだというのだ。
出口がない。
出口がなくとも、救いがないわけではないと俺は思う。
経済のパラダイムの変換は、金銭フェテシズムが生み出したものだ。
ならば、こちらの思考のパラダイムを変換して、金銭欲とは無縁の価値観と
生活規範を作り上げてゆけばよいだけである。参照例がないわけでもない。」
(8月29日エントリ『出口なし』より)

確かに、個人や一企業の努力ではどうにもならないところに
きているのかもしれないが、そういう局面においてさえ
最後に問われるのは、個人や一企業が生きてゆくための規範である。
なんだ、くだらねぇ精神論が結論かよと言われるかもしれないが、
別に結論を言っているわけではない。
腹をくくれば、人間は結構タフな生き物であるということを
これまで、何度も経験し、見てきたからそういうのである。





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最終更新日  2008.09.25 08:22:38
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