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先ごろ バチカンのローマカトリックが 極めて興味深い意見書を 流布しました。 それはニューエイジ思想に対する 警戒の文書です。 ボクたち日本人は 通常 お墓参りや お宮参り、 クリスマスや 占い、 手相などに いたるまで 「いわしの頭も信心」と言われるように、 きわめて 寛容な中で 「信じる」ことを 許容されていますので、 思想と哲学、人々の思考・道徳など それと 信仰の部分が きわめて あいまいな中で 生活しています。 「それもOKでいいんじゃない」 という感覚です。 ボクらも そのような感覚だったので、 ことさらわかるのですが、 このニューエイジと呼ばれる 70年代からアメリカああたりから 発信されてきた スピリッチュアルムーブメント のおかげで ますます 信じるということと 信仰というものの 世界が 混沌としてきた、と見なされています。 たとえば「千の風になって」という歌詞も 人によって当然 信じるものが違うということで OKな 世界であるからこそ、 受け入れられた内容が あります。 ただ、こういう書や音楽や映像が 一気に爆発的に 伝達される時代だからこそ、 「真理」を見極めていくことが 大切なわけです。 しかし、一般に「聖書」の真理は 「受け」が悪い。 あんまり「聞こえのいいこと」ばかりを 言っているわけではない。 たとえば、「あなたがたも じぶんの十字架を背負って わたしについてきなさい」 なんて 「十字架」ですからね、、、 大変な苦しみのことです。。。 よって、やすきに流れるのが人間ですから、 なかなかそれが 伝わりにくい、と いうところもありましょう。 本などは だいたい 10年もすれば その内容が あてはまらなくなるものが 大半です。 ボクも昔は 時代にあった書物を探し求め、 そして その時どきに 対処する、というような読書法をしていましたし、 いまも 具体的な処世の本では そういう仕方もしていますが、 不変の真理というものが実際に「在る」 ということに志向しているので、 読書も苦痛でなくなってきました。 きょうも家の中にあった 誰かからいただいた「信念は実現する」という 元ヤオハンの和田一夫氏の本を パラパラとめくっていました。 そこには ニューエイジとほぼ同じような 内容が満載である一方、 聖書の「言葉がいのち」という記述を引用もしていました。 マーフィーなどの成功哲学でも たびたび聖書が引用され、 今でも 「成功者」とされた人の本などをみると よくキリスト者でなくとも「聖書」を部分的に 引用して 体裁よく 理論展開を されているものが 非常に多いわけです。 ボクも 何百冊となく 企業経営者の本を読んだりしてきましたが、 だいたい 書いてあることは同じ、 それで 成功しているからこそ 書いた、というタイミングであるケースが多く、 その成功本も(最近ではホリエモンなどの本もそうですが) 10年もしたら だいたい誰も話題にすらしなくなります。 当然 この本も 流行的な価値はまるでゼロのものです。 これは そういう金儲けの本だけでなく、 宗教本と言われる類もそうです。 キリスト関係の本も すべて風雪にたえる というものではないのは 当然ですが、 ただ「聖書」だけが もう2000年近い歳月 (旧約だとそれ以上) ひとびとに力と勇気を 面々と送りつづけている、 これは 仏典や古代法典には」 ない事実です。 「神は近づこうとする者に、近づいて きて下さります」 ぜひ 手にとって開いてみて下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.13 18:08:34
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