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カテゴリ:日々雑感
◆与謝野馨・金融経済財政担当大臣 閣議後会見◆
平成18年8月15日(火) 午前11時10分~11時21分 金融庁会見室 ☆日本の戦争責任について☆ 【記者】 よろしいですか。きょうは終戦記念日なんですが、大臣、改めて日本の戦争責任 についてはどのようにお考えでしょうか。 【金融経済財政担当大臣】 けさの読売新聞を拝見しますと、非常に多角的な観点から、なぜ戦争に突入した のかということを分析をしていますし、また、戦争責任というのは、だれか1人とい うわけではなく、複合的な構図の中で戦争が行われたと……。 ただし、2つ私が感じますことは、やはり世界情勢についての分析力、それが全く 欠けていたということが1つ。やはり言論統制下とはいえ、政治家は一体何をして いたんだろうかということを強く感じるわけです。 その中で、やはり、いわば東京裁判というのは異例な裁判であったということは間 違いありませんけれども、やはり国際的に日本が戦争責任というけじめを示すため の大事な場であったと思っておりますし、これは国際的なけじめであると同時に、 やはりその当時のことを考えますと、やはり日本としてのけじめのつけ方と、そう いうふうに思っています。 ただ、残念なのは、何となくずるずるずるっと戦争に突入していったという印象が 非常に強くてですね、やっぱり国自体が、ま、流されてしまったという、そこは、 ま、日本人としては非常に残念だと思っています。 ------------------------ 言いたいこと、ちょっと言いにくくてストレートな表現を避けてること、それら含めて与謝野 氏のコメントは自分の考えに近いので引用させてもらった。 僕の認識では当時の日本(政府・軍部)の戦争責任は以下の3点だと思っている。 明確なビジョンや分析もなく無謀な戦争を仕掛けたうえ、愚かな作戦立案を繰り返し、自 国民に多大な犠牲と苦しみを与えてしまったこと、 戦争遂行上の不手際によって、戦場となった国・地域(主にアジア他国民)に対して少な からぬ被害を与えてしまったこと、 もう少しだけ加えれば、戦争開始時の通告手続きに国際法上の問題があったこと、 当時の状況を考えると責任の範囲はそこまでで、東京裁判でデッチ上げられたような「平 和に対する罪」や「戦争を起こした罪」などというものは無いと思っている。 正しい裁判ではないにせよ、敗戦国という立場からけじめを示し、復興という現実問題を 推し進めるために受け入れざるを得なかったのだろう。 A級戦犯といわれる人々が全く無実だったかというと、上記の通り、そういうこともないの だが、A級として裁かれるべきだったかというとそれも違うと思う。 (少なくとも、罪が重い順にA級戦犯、B級戦犯、C級戦犯と決められてると勘違いしてい る方々にはこの件について何も言ってほしくないというのが正直なところだが。) ま、とりとめもない話しだから、最後に言いたいことを。 責任を取るという意味では、最終的には特定の人間が形として取ることになるのだが、“あ やまち”というものはいつでも個々の誰かのせいというわけではなく、複合的な要素が絡み 合い流れの中で起こるもの。 あえて言えば、みんなが悪いということ。日頃は無関心を装い、何かあったら特定の誰か を悪人に仕立て上げそいつらのせいだと短絡的に決め付ける方がよっぽど危険だと思う。 これって今の日本も全く同じような気がする。そんな人間にだけはなりたくない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.08.15 22:39:08
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