異文化結婚生活のひとりごと

2006/11/23(木)15:34

母の日に思う父のこと。

うちの家族(11)

そろそろ母の日というこの時期。 お母さんへのプレゼントの準備で 世の中そわそわしたり、 街中、母の日一色だったり。 ただし、プレゼントをあげるべきお母さんが もう既にいない人にとっては一番つらい時期なのでは・・? だからアフィリエイトも、貼る前にちょっと悩んだ。 私は父の日に強く感じたことがある。 父が亡くなって数年経ったあと、 仕事帰りにふらりと寄ったデパートは ちょうど父の日セールで一色だった。 みんな色んな思いを込めてプレゼントを選んでいる。 そんな光景を見て急に 「あー、もうあげる人いないんだ。」と思ったら 急に泣けてきて、そそくさとデパートをあとにした。 何でだいぶ時間の経った数年後だったのか 今でもわからない。 父は、私の小さい頃から 本当に大きな病気をいくつか経験し、 そのたび死の淵から帰ってきた、 親戚一同の中ではスーパーヒーローだった。 本当だったら子供の頃に父の存在を知らない子に なっていたかもしれないが、 この不死身のスーパーヒーローのおかげで 幼少の頃から、私が実家を離れ上京するまでの間の たくさんの思い出を作ってくれた。 決して裕福ではなかったけれど、 両親と兄と家族4人で普通に、 家族が一人も欠けることなく過ごせることだけで 幸せに感じた。 そんな数ある家族のエピソードや 父の事をいつかは書き残しておきたいと思っていた。 でもいざとなると、たくさんありすぎて 何から始めれば良いのか・・。 でもいつかはやらなきゃと思っていた。 昭和が終わり、 時代は平成に変わったその年の夏、 私が上京して半年後、 父は亡くなった。52歳だった。 食事も一気にかき込み、早食いだった父によく、 「早いよー!」とツッコミを入れていたが、 死に際もあっという間だった。 このあたりの事は今後徐々にという事で・・。 以前、履歴書バトンの好きな異性のタイプは?の質問に、 ”人、お金、仕事、生き方すべてに対して誠実な人。 (↑誠実=嘘をつかず逃げないことですね。)” と答えた事がある。 これは、まさに父の生き方であり、 私が子供の頃に父が私に、 「こういう生き方をしなさい。」と残したメッセージでもある。 小学校当時はこの意味が解らず、 大人になってから理解できた。 しかも理解した頃には、父はいなかった。 私がだんなを選んだのは、 まさにこの生き方をしている人だったから。 父が探してくれたのかな、と本気で思う。 ある日、あっけなく人生を終えた父。 そのおかげで私の人生観は変わった。 あれこれ迷って、結局なにもしないで終わるより、 やりたいと思ったら、とにかく何でもやってみようと 思うようになってしまった。 好きな寿司ネタは後回しにせず、 一番最初に食べようとか、 (↑聞いてます?独身エロT課長?) 面白い本も「続きは明日。」とか言って もったいぶらず、一気読みをしたり。 (↑そんなちっこい事かよ!) 結局、人は明日は生きているかわからない、 もしかして明日は来ないのかもしれないんだから、 やりたい事はやっておこう、という ポジティブなんだか、ネガティブなんだか 訳のわからない人生観となってしまった。 それを実行した結果、 とてもおやじな20代を過ごすことになってしまった。 父も「おいおい、それはちょっと違うんじゃぁ?」と 思っていたに違いない。 いつか結婚したら、また「お父さん」と 呼べる人が出来るかと思っていたが、 残念ながらそれは叶わなかった。 だんなもお父さんが大好きで、 家の敷地内にあるお墓に行っても、 ただ眠っているだけと思うらしい。 いつものように忙しく、 旅行に出掛けているだけだとも言う。 だんなが両親の思い出話をすると こっちが泣けてきちゃうので、 いつも途中で勘弁してもらう。 人それぞれ、 病気であったり、事故であったり、 お父さん、お母さんであったり、 子供であったり、 どっちにしても大切な人を亡くせば 深く傷つき、悲しむ。 でも大切な人の姿は無くなっても、 会えなくても、心の中で生き続けている。 そして残された人は、また一つ強くなれる。 そんなことを教えてくれた父と、 だんなのパパに感謝したいと思っている。 また少しずつ、父や家族の事、書き残して行きます。 Viva★お父さん!な私に愛の手を   ↓ 人気blogランキングへ

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