お久しぶりです^^
私はスマホのパズルゲームなどを暇なときにするのですが、集中してゲームするというより、半分は違うことを考えながらやっているんですよね。
考えるというか、その時その時頭に浮かぶものは違うんですが。
で、最近はなんかちょっと重たい系の、みぞおちの辺りがモヤ~っとするようなことが、ゲーム中に頭をよぎります。
一見熱中している様でしていない、もやもやした気持ちなのです。
で、思い切ってこれは何なのかちゃんと見てみよう!と思い立ちました。
考えようと思って考えているというよりも、頭によぎる、という感じだからです。
感じて見ると、私は「正しいこと」にこだわっていること。
同時に、「間違っていることをしていたら怖い」という恐怖がありました。
これ、結構大きいものです。
自分をリーディングして行くと、押さえつけている自分が見えました。
なんとか自分を管理しようとしているんです。感情も何もかも。
なので、本当の、自然の自分とは違う自分が見えました。
インナーチャイルドに繋がっていろいろ話しながら見ていくと、突然
「私は出来ていない」という感覚があることに気が付きました。
どうゆうことかというと、このブログでも書きましたが、私は子供の頃、勉強を全然しなかったんですね。
まぁ今思えば家庭環境が複雑すぎてというものも大いにあったと思うのですが。
そのせいでいつも自分は周りよりも全然できていなかった。
勉強以外にも、色んなことが。
家に帰っても責められて怒られるだけで、くつろぎの場というものは皆無だったし。
なので劣等感や、自己信頼感はとても低く、周りは凄くて私はダメな子という印象が自分自身にはあったんです。
その考え癖が、未だにあったことに気が付いたのでした。
主婦になったら庭の草取りしないとダメですよね。
家の周りの掃除をマメにするとか、ご近所に恥ずかしくないように綺麗にするとか、雪かきとか。暗黙の厳しいルールというものが主婦にはあるじゃないですか。
私、ああゆうのがホント嫌で、出来ればしたくない、と思う派です。
先日夫の両親のところに遊びに行った際に聞いたのですが、姑は今年の夏の炎天下の中、家の周りの雑草取りをして、へとへとになって、少ししたら救急車で運ばれたというのです。
肝臓の機能が極端に落ち、入院したんです。
理由を聞けば、主婦として家の周りの雑草くらいきちんととらなければ、というものだそうで、そこで無理がたたってしまったのでしょう。
舅は逆で、「草は秋になったら枯れる」と言っており、私もその派です(笑)
それを聞いたときは大笑いしました。良いなぁこの人は自然で!と。
草花が自然に生えてキラキラしているのは見ていて気分がいいです。
妖精でもいる感じで。
なのに、思ったように出来ないんですよね。どうしても人目が気になる。
すごく少なくはあるけど、雑草取りにたまに庭に出ている私。
で、子供の時のように、「出来ていない自分」を感じ、劣等感になる。
ご近所もしょっちゅう外に出ては雑草取りをしているし、ご近所さんも我が家を観ているのわかるし、なんかとっても嫌。
で、この「私は出来ていない」のブロックも手放しました。
これ、結構ある人多いんじゃないかな。
これを感じたくないから、無理して頑張ってやりたくもないのに掃除して、という人っていると思う。
それに、「私は出来ていない」というものがあるからこそ、「あなた全然できていないのね」という視線や人を引き寄せているんだろうし。
こんな劣等感は、要らないね。
誰のためのもの!?って思うもん。
姑のように、炎天下の中無理して雑草取りして救急車で運ばれても、「何のため!?」となる。
やりたい人がやりたいことをするのが一番いい。
不得意な分野で劣等感を感じる必要なんか、ないと思う。
それでもそれを強要する風潮が大人にも子供にもあるよね。そして劣等感を感じる。
で、気が付いたことが。
娘は受験生ですが、受験勉強のやる気が出なくて、そんな自分を責めていたんですね。
この姿・・・私そのものでした。
子は親の鏡と言います。
今では娘はかなり気楽に受験勉強のことについて取り組んでいる様です。
好きなことはしっかりやって、自分を追いつめずに勉強や楽しいことをするようになりました。
息子も同じです。やりたいことをやって、勉強もする。と。
自分たちの人生だもんね。あんまりとやかく口出ししないようにはしていますが、度が過ぎているようだったら、「だいじょうぶ~?」とだけ口出ししてます。