カテゴリ:アゲ思考・サゲ思考
自分に攻撃をしてくる人や、嫌なんだけど、妙に頭に残る人とかって、今の自分とある部分において対極にあるような人だったりします。 私はよく鏡という表現をするのですが、例えば、 DVをする側とされる側では、一見正反対ですが、根っこの部分が同じなのです。 根っこは恐怖心や自分なんてダメなんだ、という自己否定が同じだったりするんですね。 なので身構えていたりビクビクする同士で一緒になると、「わかってもらえた」と思うのも束の間、ここでペアになってしまうと、攻撃する側、される側に分かれるのです。 これは極端な例でしたが、他にも意地悪する側、される側もありますが、これも根っこは同じで、根っこに劣等感や不安を抱えていることが多いです。 それで、意地悪する方は相手に対して意地悪をして傷をつけ、その際に優越感を味わう。 された方は、傷つき、劣等感になるのです。 優越感と劣等感って、実はセットになっていて、これを「優劣意識」というのですが、振り子のようなものなのです。 片方に極端に傾くと、優越感になり、自信がなくなっていくと劣等感になる。 なので劣等感を強く持っている人は、優越感を求めて感じたくなるのですが、何せ世間が怖いという思いがあるので、根っこが同じ人とペアになって、自分と同じだとわかると、無意識にその人にマウントをとり、相手の劣等感を刺激することで、意地悪する方は優越感を感じるのです。 これが幸せな人は意地悪しないという所以(ゆえん)で、劣等感のある人は優越感になることを求めてしまうんですよね。 でも、人に意地悪をしないと決めている人は、攻撃されて劣等感を多く感じる形になるのかと思います。 そしてその形は固定されていくという。。 というか、自分をいじめているのか? いじめている人が気持ちよさそうな顔をしているのは、エネルギーを奪って、優越感を感じているんです。 そして、優越感を感じまくると、振り子ですので、思い切り感じるほどに振り子は上方向に傾くため、勢いよく劣等感に傾くのです。 その状態が怖いので、また決まった人に攻撃をして、エネルギーを奪い、優越感に浸る。 でも、また振り子が劣等感に向かう・・・を繰り返すのです。 実は恐怖でいっぱいなんですよ。 だからいじめっ子は一人で行動できない人が多いのかも。 これはそこら中である光景ですよね。 で、どっちが悪者とかそんなことではないんです。 どっちも辛いんです。 ちゃんと同じレベルの人とペアになっているんですよね。嗅ぎつけるというか。出会うというか。 そして互いに見せ合っており、そこから気づいて左右(優劣)ではなく前に進んでいかないといけないかと思うんですね。 見せられていると考え、自覚していくことが大切かと。 攻撃してくる人って、自分と反対の人が多いじゃないですか。 前回の記事でも書いたように、自分の中のこれが要らないというものを、脱水機のように自分から引き剥がし、周囲に撒き散らすわけです。 すると、自分は要らないもののなくなった人格になったつもりになるわけです。 それは人それぞれ違うと思うのですが、とあるケースでは、あり得ないというくらいにこちらから見て恥ずかしいと思う人が自分に攻撃するとかもあって、それって捨てた自分なんでしょうね。 その捨てた自分が、「私を認めろ〜!」と来るんですよ。 「いやぁぁぁぁ!来るなぁぁ!私はあんたと違う!」と思い、大嫌いになるのですが、これまたしつこい。 または、妙に頭に残る自分にとって恥ずかしい人だったり。 頭に残るので、要は「見つめなさい、気づきなさい」と上から言われているのです。 「大っ嫌い!」なんだけど、なぜ嫌いなのか。 出してみると、昔の嫌な自分と同じだったりするわけです。 だからその人を見ていると、恥ずかしく感じるのです。 私の場合、うるさいくらいに感情的だったり弾けすぎている人を見ると、すごく嫌で目を背けるのですが、それはかつて 「お前うるさい、恥ずかしい!」 と言われた経験から自分を戒めたわけです。 なので賑やかすぎる人を見ていられなかったですね。 こんな感じで、捨てた自分の嫌な部分が人格を纏ってやってくるケースもあって、そんな人から攻撃されると、 「いやぁぁぁぁ!やめてぇぇぇぇ!!来るなぁぁ!消えろぉぉ!」 となりますが、ちゃんと見つめると、自分にもあると認めて受け入れてしまえば、その人のことが嫌いにならなくなるんですよ。 その人に対して、恥ずかしい、嫌だ、失せろ、とか思うから向こうも「なんだとコラ!?」と応戦するのですが、表向きに出していなくても、なぜか相手に伝わるのか無意識なのか、ちゃんとそのような方と対峙するようになっているのです。 そうやって、「あ、この人のこの部分、私も持ってたわ。あるわ」と受け入れると、本当に気にならなくなりますね。 その部分って、なかなか受け入れるには勇気のあることだったりしますが。何せ嫌っていたし、毛嫌いしていたし、そうすることで身綺麗でハイセンスで人格の高い自分のつもりだったので。 「でもでも、このもっさい部分、あ〜あるわ。私にも実はありました、はい✋」 と認めると、景色が変わりますので。 受け入れなかったものを受け入れると、自分の幅が広がりますのでね。 しかもその受け入れ難い人が何度もくるのは、上が見ろってわざわざ提示してくれているんですよ。 絶対に、いや! という気持ちわかるよ? 自分がそんな奴だなんて認めたくないというのも、人によって違うのです。 絶対に、あそこにいるハイセンスで憧れのあの人に、この部分を知られたくないし、この嫌な人と関連があるとさえ思われたくない、ということもあるでしょうよ笑 この辺は人によって違いますよね。 自分の一部を否定して生きると、必ずそれが人格を持ってやってきます。 どんなに逃げても、どんなにかわしても、あの手この手で追いかけてきて、本当にしつこいものですよ笑 ここは観念して、見つめましょう。 なんで逃げるって、それを認めたくないからなんだから。 それって時間の無駄よ?もったいないよ? 課題から逃げていると、雪だるま式になってやってくるので、対処は早めの方がいいと思うよ? 大抵が、 意地悪、冷たい、だらしがない、しつこい、見栄っ張り、ヒステリック、気狂い、不安定、暴走、不潔、暗い、憎悪や怨念、マウント、恐怖、孤独、重い、抑圧、弱い、劣等感、狡さ・・・なんだから。 このワード、あなたの中にありますよ?って言われたら、抵抗するのが当然。 でも、これらのワードが闇だとすると、 光のワードの、 優しい、温かい、清潔感、さっぱり、平等、落ち着き、安定、にこやか、明るい、軽い、祈り、笑顔、勇気、強さ、解放、善、正直 これだけを自分だと思うのにも無理があるでしょ? 優劣意識のように、振り子のようなものかもしれない。 だったら、マルッと認めたらいいと思うんですよね。 例えばさ、全部が善や光のワードの人がいたら、どうですか? 実際にいたとすると、不自然な感じしませんか? そして、それが個人でも団体だとしても、妙な気持ち悪さや不自然さを感じませんかね?? 善だけ、光だけって不自然なんですよ。 なので、自分の中に、それある!あります!って認めたら、幅が広がると思いませんか? 波動が高くなる、もう1段階成長するって、この自分の中の闇の部分も受け入れることだと思うし、 だからと言って闇の部分を表現して生きる必要はなくて、あるとしていけばいい。否定することなく。 闇の部分をガンガン出しているのは、ある意味不自然だし、光の部分だけを出しているのもある意味不自然。 完全な善だけを求めている人と、 闇や悪から改心して前に向い人って、人間的幅が違うと思いませんか? 悪いことして反省している人に対し、 「わかるよ、悪い気持ちになっちまうよなぁ〜!俺も経験あるよ🧑🦲」って言われたら、とても懐が深いと思うし、めっちゃかっこいい。 実は人は、善だけを求めていないんですよね。 全てを受け入れるという懐の深さを求めているんですよ。 要は、人は皆受け入れられたい。 だとしたら、自分で自分を受け入れるという点で、自分の闇の部分も認めたらいいんですよ。 目の前にいる、みょうに攻撃的な人や、どうにも頭から離れない人は、悪人というよりも、(本人知らずして)教えてくれる人ですよ。 意味のないことは起こらないと言いますが、私たちが思う以上に、情報はそこらじゅうにあって、意味のないことはないんです。 たまに、意味はない、意味付けしているだけという話も聞きますが、私的には、そんなもんじゃないよ?そんな浅い浅いものじゃない。世の中は完璧で、一見すると普通の日常の中にシグナルがあるし、それは後になってわかるようになっているんですよ。 知ると、えええ、このシグナルって、何十年も前からあったんだ!だからあの人が来て、次にこの人が来たんだ!という深い深いレベルのものなんです。 よく、自分の人生のこの流れと出逢いとか、なんか意味あるはずと、一見根拠なく思っているとするでしょ? この、根拠なくと思っている部分が、実は何かが隠されているんですよ。 私は中学生の頃、よく自分の人生の年表を書いて、ここで誰と出会って、こんなことがあって・・とか書いてましたもん。 絶対に何かあるって。 旅先で偶然出会った人も、その後お付き合いが始まったとしても、その人はとても意味がある人だったりとね、本当に人生は謎に満ちているし、謎解きなんですよ。 今、妙に気になる人はいませんか? そこにもいろんなヒントが隠されてますよ? 大嫌いな人は、自分と正反対だけど、その人もお知らせの人ですよ。 根っこが同じで鏡になっている。 ・・・何が鏡なんでしょうね。 こうやって考えていくと、ものすごく深い気づきがあるんです。 これを謎解きと呼んでます。 誰だって、エロいし、アホだし、不潔な部分があって、意地悪だし、恥ずかしい過去があって、人に言えないことがわんさかある。 みんな素知らぬふりして、さわやかに見せているだけで、自分の毛穴まで見せられるような人は少ないですよ。 そんな自分を受け入れたら、楽だと思いませんか? 分離させているから、今が停滞しているということに気がついてもいいと思います。 人のサガをとことん見てきたので、今更何も驚かないですよ。私は。 ほら、こんなふうに書いたら、私のこと懐の大きな人に見えるでしょ笑 でも、私だって意地悪だし、好き嫌いあるし、だらしがないし、きちっとしていないよ。 安心感ってさ、自分の怖い部分とか嫌いな部分を受け入れられた時や受け入れた時に起こるんだと思う。 そうなってやっと、エネルギーが腹の底から湧き上がると思うし、安定するんだと思う。 悪い部分を認めよう。 そして、自分に嘘をつくことをやめて、素直に行こう。 この辺は楽になっていいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.09.16 17:06:34
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