Day by Day(その日 その日)

2017/04/12(水)07:20

曇天続きで花見三昧

ふるさとわが町(114)

待ち焦がれたソメイヨシノの開花! 7日早朝に咲き始めたらその日までに5部咲きとなり8日の朝、見上げると満開となっていました。 <自宅の>ソメイヨシノ  晴れの日がなくて午前中の合間をみて撮りました          こんなに、早いのは珍しい 鳥取県西部地方は海岸部、山間部とも申し合わせたように一斉に開花してしまいました。 ーーーーーーーーーーー 8日(土)は近郊の花見となりました。 市内の桜公園での人込みを避けて思い出箇所の桜見物はまず、龍門寺の枝垂桜からですが <老体>一時は新聞社の「春が来た」の定番写真だったのですが、寄る年波と今年の大雪で無残な姿は痛々しいです <枝垂れ桜>龍門寺 次は、昔の南北朝の面影を偲ぶ地区内の「安養寺」です。 民家の佇まいのなかにこのお寺はあります。 <ド根性桜> 老木となって朽ち果てても、なお咲き続けるド根性桜には感心します。建武以後、吉野の行宮先で亡くなった後醍醐天皇の多感旺盛な性格にそっくのようですね <内親王廟所>没後680年  境内奥の院 <安養寺について> 遠く元弘の昔、北条幕府討幕計画が漏れ、その首謀者の後醍醐天皇が「隠岐遷幸」となった。 この帝のあまたな御子のうちに、瓊子内親王という姫君があった。 「島とやらへ、わが身も行きたい。島に行きたい」かよわい足ではるかな旅をして美保関へ来て一行に追いついたといわれている。 しかし、もとより姫のいたいけな願いが叶えられるはずがない。 所伝によれば、身の孤独と、世の荒びにすべてを失った十六の乙女はこの地(現 米子市福市)で黒髪をおろして一宇の庵主「安養寺瓊子」としてついに果てられたというのである。 私本太平記(吉川英治)より抜粋 ーーーーーーーーーーー 本命は自宅から10kmの法勝寺桜です。 法勝寺川土手と法勝寺城址には、法勝寺城址周辺200本、法勝寺川土手430本、合計630本の桜の木があり、樹齢は40年から55年程度とちょうど頃良い桜となっています。 <法勝寺桜>静かな川土手の風景です この日はちょうど「一式飾り」を展示していました。この行事は桜とは関連が薄く第二土日が毎年の予定ですが、桜の開花が遅れたので運よく重なってしまったということです。 ※見物客はそれでいいのでしょうが、「桜まつり」「一式飾り」の2行事に曜日を変えて動員かけられるのも迷惑でしょうね。しかも、この一式飾りの作品は数日をかけて内緒で作成されるのだそうで苦労のほどがうかがえるというものです。 <カヌー>オリンピック初メダル 竹製品一式 <オナガドリ>履物一式   下駄、鼻緒、足袋 注釈:止まり木:下駄 尾:鼻緒  胴体廻り:足袋 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー <蛇足です>接木を行いました この季節は柿の接ぎ木の適期です。正月後の剪定枝を冷蔵庫で保管しておいて穂木として使用します。 冷蔵保存は生理的な現象で冷たい環境から一足跳びに春の環境に晒すと驚いて発芽するのだそうですね 不要な柿木を昨年に倒木したのですが、胴吹枝が4,5本出たのでそれに接ぎ木しました。 下手な鉄砲、数打てば何とかで・・・・(笑) 紙面の都合でこの辺りで・・・・ご覧いただきましてありがとうございました。

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