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久恒啓一

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団塊坊ちゃん青春記

2007/05/26
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大学三年になって、私は四回目の引越しをしました。「とても良い人が来てくれた。」と下宿のおばさんは大喜びです。実をいうと、私は第一印象が良いらしく、最初はうまくいくのです。ある日、夕食を食べに階下に降りていくと、大変な美人がいるではありませんか。聞いてみると、最近この下宿の近くに引越してきた女子高生だそうです。食事をしながら、何となく気になって見ていますと、「久恒さん、手を出したらイカンとよ!!」とおばさんから注意がありました。一応「ハイ」と答えておきました。

翌朝、登校時、たまたまこの彼女と一緒になりました。どちらからともなく、映画を観に行こうということになりました。次の日曜日、彼女と公園で落ち合って、「何が観たい?」と聞くと、「私、ハレンチ学園がみたいとよ。」と云うではありませんか。丁度そのころ、この映画が流行っていました。女の子のスカートをまくったりする全くハレンチな学園の様子を描いた映画を、二人で観たわけですが、そのあと、近くの公園に行きました。うららかな春の陽がみちみちており、青や黄色のパンヂーが咲き乱れておりました。突然、この彼女が持っていたカバンで顔をかくしたのです。何事ならんと前方を見ますと、ああ、下宿のおばさんがいるではありませんか。私はすっかり恐縮して平あやまりという訳です。

ところが、やはり春です。二人の気持はおさまりません。私の部屋は、下宿の二階だったのですが、朝六時頃、彼女が登校のためにその下を通るのです。私はめざまし時計をかけ、六時前に起き上るという寸法です。しかし声を出すと、下に寝ているおばさんが起きてしまうので、私は一計を案じました。「何日、何処で逢おう」と書いた紙をヒコーキ型に折って、彼女めがけて飛ばすという方法です。「オレも、頭がいいなア」と自己満足していましたが、残念、途中で木にひっかかってしまいました。急いで2機目を飛ばしました。それで彼女もOKして又デートとなる訳ですが、運の悪いことにまたおばさんにみつかってしまいました。ある雨の日、雨の強さで木にひっかかっていた紙ヒコーキが地面に落ちてしまったのです。又、又しぼられてしまいました。

最後に、もっとひどい失敗をやらかしてしまったのです。友達の所に泊って翌朝、下宿にもどり、歯をみがいていますと、おばさんが二階に上って来ました。「久恒さん、あんた知っとるとネ!!」「エ、何ですかあ」このおばさんは、通常は、細長い眼なのですが、この日ばかりは、どういうわけか、たて長というか、三角というか、つり上っているのです。「あんたの部屋に、ウジ虫が湧いたんばい!!」と云います。「エッ、アーそうですかア」と僕。事情をきくと、おばさんが二階の掃除をしていると、ウジ虫一匹を発見したそうです。その道をたどって行くと私の部屋にいきついたという訳なのです。部屋をあけると、ほったらかしておいた何やら食べ物の中から、かなりのウジ虫が発見されたというのです。近所の人を呼んで、よってたかって退治したらしいのですが、ここでひるんでは男の恥と思った私は、「ヘエー、男やもめにウジが湧くという諺があるが、本当に湧くんですネェー」といいますと、おばさんもさすがに勘忍袋の緒が切れたとみえて「出てケー」となってしまいました。数々の失敗を重ねて、とうとう、この住みごこちのよかった下宿を出て、寮に入るハメとなってしまいました。

弟にはこの話をしましたが、人には決して云うなよと云っていたにもかかわらず、私が入っていた探検部の後輩であり、弟の同級生でもあるYという男に喋ったらしいことに気がつきました。なぜかと云うと、この後輩、部会の席で、「久恒ウジ、久恒ウジ」と慇懃無礼な呼び方をするものですから。







Last updated  2007/05/26 03:47:55 PM
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2007/05/14
体がこの穴を突破すればよいのだから要は穴を大きくすることだと結論した私達の行動は次のようなものです。理学部化学部のこのリーダーは、鐘乳石の化学方程式を恩いだし塩酸をかけると化学反応をおこして鐘乳石は溶けるはずだと主張しました。CaCo3+2HCl→CaCl2+Co2+H2O

彼によれば、「塩酸をかけると溶ける、そしてまわりの石はもろくなる。その弱くなったところをトンカチでしつこくたたけば容易に石はくずれていくはずである。これをくり返していけば、短時日のうちに我々は前人未踏の空間に達するであろう」という理論なんです。

私達は半信半疑でしたが、とにかく実行することにしました。塩酸の入ったビンを片手にタオルとトンカチを持って四~五人でこの鐘乳洞にもぐります。まず塩酸を目指す小さな穴のまわりに注ぐと、先程説明した化学方程式で発生する気体や塩酸が、あたり一面にたちこめてきます。この気体は吸い込むとのどがヒリヒリしてくるのです。この気体をそのまま吸いこむと気管をやられますから、手にしたタオルで口をふさぎ気体が流れ去るのを待たねばなりません。

今度はトンカチを手に穴の周辺のもろくなったはずの部分をたたくのです。ところがこの穴の周辺をたたくためには、胸がようやく通る位の狭いところを通過する必要があります。胸が上の壁と下の壁とにはさまって身動きできなくなるところまで体を進めても、腕がようやく穴の入口あたりに達するという状態です。したがって肩を軸にして腕を振ることはできません。

どうやるかと言うと、手を精一杯のばした上でも手首のみが自由に動くのですから、トンカチを持って手首を振るのです。10分以上もこの動作を繰り返してもちっとも穴は大きくならず、かえって塩酸のにおいでせきこんでしまうのが関の山。ところが、5人ほどの人間がこの作業を続けて次に自分の順番がまわってくると、どういう訳か以前より穴がいく分大きくなっているような気がします。そこで又この作業を行う元気がややでてくるのです。

およそこのような神に背く作業は短時日のうちに完了するわけはありません。とうとう私の卒業までに数回の合宿を行ったにもかかわらず、未知の空間の扉はひらきませんでした。大学を出て半年位たった頃、クラブの後輩から手紙がきました。

「前略、先輩/とうとうあの鍾乳洞の穴があきました。」
ようやく人が通れそうな位にまで穴をひろくすることに成功した後輩達は、わが探検部で一番やせている小さな男に一週間の断食を命じたというのです。そしてこのやせ男の最もやせ細った頃をみはからって、この穴に無理やり押し込んだらしいのです。この不幸な男に、世界で初めて人類が足を踏み入れた空間の感想を聞くと、「案外、中は広く、ユニークな形をした石もあり楽しかったですよ。ただ、その空間の先に、また同じような穴があったのにはゾッとしました。」との答です。

さすがにその穴をまた掘ろうと言い出す男がいなかったのがせめてもの幸いです。ところが、このクラブ連中はこの男を押し込むことには神経を使ったらしいのですが、果して再び出てこれるか否かということには、トンと頭がまわらなかったようです。ですからこのやせ男は決死の覚悟でこの恐るべき空間からはいずり出たということです。このクラブ連中は、「一度入った穴だから出れないわけはないだろう。又、もし出れなくても、もう一週間も絶食すれば出てこれるさ」とほざいていたそうです。







Last updated  2007/05/15 04:52:48 AM
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2007/05/12
探検部活動の一つの分野に鐘乳洞探検があります。

このケイビング活動の練習場として私達は北九州にある岩屋(ごうや)鐘乳洞をよく利用していました。この岩屋には長く続く横穴や数十メートル地下に下がるたて穴や、“カニの横バイ”と我々が名付けていた狭い通路を持つ鐘乳洞などがあり、遠征のための訓練に非常に適しています。鐘乳洞にもぐる時の服装はと言うと、自動車整備工の制服ともいうべき“つなぎ”とキャラバンシューズ、ヘルメットとランプといった具合で、炭鉱夫と同じです。

鐘乳洞になぜもぐるのか。山の場合には、「そこに山があるから」という美しい台詞があり、又、「頂上から見る美しい景色がそれまでのつらさを忘れさせる」あるいは「重い荷物を背負って遠い道を行くのは人生と同じである」という教訓派と様々であり、まあどれももっともらしく聞こえます。

ところが鐘乳洞だけは理由がみつかりません。地中にずんずんもぐっていくと地の底に落ち込んでしまったような心細い気持になります。又、狭い穴を必死で通過する時など「今ここで地震が起きたら一巻の終りだな」と考えたり、さらに悪いことに鐘乳洞には水が流れていることもあり、泥だらけになってしまい、良い事は全くありません。

“つなぎ”も岩にひかかって破れたり、ヘルメットが岩にぶちあたったり、又ヘルメットにつけたライトが接触不良でつかなくなることもしばしばです。気の遠くなるような暗闇の中でライトがつかず、しかも仲間がすぐそばに居ない時など気の小さい人なら発狂するところです。鐘乳洞は地中にあいた穴ですから体が通れなくなればそこで、終りとなります。

岩屋に20メートル位垂直に下がった深いたて穴があり、その底から今度は横に穴がのびています。この穴にはロープを体にまいて仲間に入口で支えてもらいながら降りるのです。ある時部員五人でこの穴にもぐりました。この横穴を進んでしばらく行くと行きどまりです。もうこれ以上進まなくてもすむため内心ホッとしてひき返そうとした時、先頭にいたリーダーのYという男が「オーイ、小さな穴があいとるぞー」とわめいています。

よくみると直経7~8cmほどの小さな穴があいており、顔を精一杯近づけるとその穴の先に何やら空間らしきものがのぞけます。通常、「ヘルメットが通れば体は通る」というのがこの鐘乳洞探検の一つの公式なのですが、この小さな穴はとても無理。ところがこのリーダーがとんでもないことを思いつきました。「ヨシ、みんなでこの穴をほろう」これ以後一年近くにわたって私達は非常に辛い仕事をするはめになりました。(明日へ続く、、、、)








Last updated  2007/05/12 10:56:25 AM
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2007/05/06
私達探検部が考え出したのは、屋台で探検料理を売ろうという案でした。
材料はヘビ、カエルが主なものです。材料集めのために数週間前から材料収集部隊の編成にとりかかりました。ヘビをつかむのは平気という部員と、家の近くに食用カエルがたくさんいるという部員の両方をそれぞれのリーダーに任命し、ヘビ班に5名程の新人をつけ、カエル班にも同数の新人をさずけました。それから数週間、週一回の部会のたびに部室のブリキカンの中にヘビやカエルが続々と集ってきます。

いよいよ明日が大学祭という日、部室に入ると「久恒さん、大変です。ヘビが逃げました。」と下級生が青い顔をしています。今から調達するのも難しいので皆で必死になって部屋の中をさがしますと、大きな青大将が金庫の裏から悲しげな眼をしてのぞいています。早速つかまえて放りこんだのは言うまでもありません。

さて当日。料理の名人であるK先輩と、新入部員のくせにヘビやカエルの大好きなF君が先頭にたっていよいよ探検料理の開始です。食用ガエルをどうやって殺すか。ペンチで頭を一発、キョーリョクになぐって気絶させるのです。女性の新入部員でTという豪傑女が何匹もこの方法で殺すのに飽きてしまい、なんと部屋の壁に投げつけて気絶させる方法を開発しました。私達はいざとなった時の女の残酷さに身ぶるいしたものです。女って恐ろしい。ヘビの方は皮をむいてカバ焼きにします。まむしは味には定評がありなかなかうまいのですが、青大将は大味でありシマヘビも美味とは言えません。

夕方、屋台のテントのひとつに陣どった探検部は、「大学名物、探検定食一人前たったの九〇円!」という看板をかかげて呼び込みを開始しました、献立はヘビのカバ焼、シマヘビの骨のスープ、食用カエルのモモ肉のからあげ、それにごはんです。私も初めて食べたのですが食用ガエルの肉は本当においしい。味はとり肉に似てはいますが、まろやかな味ははるかに上です。したがってこの探検料理は、まさにとぶように売れます。若いカップルがどんどん入ってきます。最初はもの珍しげに入ってくるのですが、探検定食を口にすると、「おいしい、おいしい」と満足の体です。私達は調子にのって「ヘビはいかが、カエルがうまい、天下一品の探検定食だよ」と呼びこみをやっていると、あるカップルの女性が、カエルのモモ肉のからあげを口にしながら「これがホントにカエルなのお?」と信用していない様子です。私は早速、「おい、いいか。カエルをそのままの姿で揚げてこい」と下級生に命令を出しました。数分後、大きな食用ガエルが手足をひらいたままの姿で揚がってきました。「ハイ、これがカエルの姿揚げだ」とその女性のテーブルに出すと、「キャー」と叫び気持悪そうに帰っていきました。

始めてから二時間もたつと、「もうヘビやカエルが底をつきました。」との報告です。残念無念、材料がなくなっては仕方ありません。クラブ一同楽しく過した大学祭でした。ところが悪い客が一人いたのです。私の出身高校の後輩の一人が探検定食を食べたあと金を払わずに逃げ出したのです。私は「追えー」と命令をだしたのですが、その男は夜の闇の中に消えてしまいました。「ふてえ野郎だ、ただじゃおかねえぞ」と皆でフンガイしました。その後、Nという無銭飲食の男は大手商社に入社したといううわさを聞きました。商社マンにむいていたのかも知れません。







Last updated  2007/05/06 09:29:56 AM
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2007/04/29
プレハブの長屋の2階にある部屋で、毎週部会をやっていると、1階の丁度真下にある混声合唱団の清らかな歌声が聞こえてきます。なかなかうまいのだろうけれども、われわれ探検部員の歌もかなりいけるのではないか、混声合唱団の歌声を聞いてそう思いました。自称ロマンチストあり、多少ロマンチストの毛のある男ありなので、人をロマンチストにさせる山の夜など、しんみりと歌をうたうことが多いのです。静かな夜に、テントの中のローソクを囲みながら、合唱をしたり、独唱したりするのです。私達は、自分達のことを“探検部少年少女合唱団”と呼んでいました。レパートリーは、その頃はやった御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)の青春歌謡、「いつかある日山で死んだら」で始まる感傷的な山の歌、レッドリババレーなど英語のうた、春歌など多彩でした。したがって、時間さえ規制されなければ、何時間でもうたい続ける有様でした。どこの国にも国歌があるように、探検部でも部歌が欲しいという声がありました。

私達が半分部歌のーつもりで愛唱していたのは、「知床旅情」です。当時は、この歌は世間に知られておらず、私達はこの美しいメロディをこよなく愛していました。「今宵こそは君にうちあけんと岩かげに寄れば、」など皆でその気になって合唱です。ところが、歌手の加藤登紀子がテレビの画面でうたいはじめると、寮の風呂の中でも全然風情を理解しないような男が口ずさむのを聞くとプライドが許さず、この歌を部歌にするのはやめました。

もう一つは、「波をちゃぷちゃぷ~~かきわけて」で始まるNHKの「ひょっこりひょうたん島」の主題歌です。「丸い地球の水平線に何かがきっと待っている。楽しいこともあるだろさ、苦しいこともあるだろさ、だけどボクらはくじけない、泣くのはイヤだ、笑っちゃお」なかなかいい歌です。この歌はその後クラブの連中の結婚式の時は必ずやりました。又、誰がつくったか忘れましたが、「行くぞ我等が探検部」というのがあります。歌詞は、「ゆくぞーわれらがたんけんぶうー、ゆくぞーわれらがたんけんぶうー」とこの一つの文句が同じメロディーでいつまでも続くのです。これも一時、受けたのですが、あまりバカバカしいのでやめてしまいました。

「よしそれではボクがつくろう。」と野心を燃やした私は、ある晩、歌詞をつくりはじめました。ああでもない、こうでもないと練っていますととうとう明け方までかかってしまいましたがやっとできあがりました。しかし作詞ということではなくて、よく旧制高校のバンカラ男どもが、声をはりあげるあの「巻頭言!」になってしまったのです。

探検部巻頭言!!

 いざや聞け、我等ロマンチストの歌声を!!
いざや歌わんかな、誇らかなる感情の高揚を持ちて!!
あまた多くの女に愛されし我等といえども!!
初恋の君に流す涙の純情を誰が知る!!
あまた多くの友を得し我等といえども!!
君に流す惜別の涙を誰が知る!!
薄青き順風に帆をあげてはるかなる海の彼方、夢多き君よ何処へ!!
流れくる逆風つきてはるかなる山の彼方、望多き我身は何処へ!!
あるは、とうとうと流るる大河を渡り!!
あるは、白銀輝く峰々を駆け、
あるは、烈風吹きすさぶ野分をつきて!!
あるは、鳥も通わぬ絶海の孤島へ!!
月影淡き丘に座せ、我はつぐ一杯の酒!!
君よ飲め、恍惚の美酒!!
そして行け、若き血潮のなすがまま!!
不浄なる巷をおそへ、高き蛮声!!
ああ、うたわずや、たたえずや男のロマン、男の純情!!

当時の私は、ペンネームを、高遠純としていましたので、部誌には作・高遠純となってのっています。この巻頭言は、私が先の詞を若干のふしをつけて大声で叫ぶと、部員が一声に「オー」と声をあげるというやり方にしました。結構評判が良く、それからは、どんな会合であってもこれをやることにしました。苦労してつくり、数えきれないほど実演したので、何十年たった今も、一言の狂いもなく唱えることが出来ます。自称ロマンチスト、高遠純の面目躍如といったところでしようか。






Last updated  2007/05/01 05:45:05 AM
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2007/04/22
探検部の部員連中と言えば、だいたいみんな貧乏でうすぎたないが、暗い下宿で集っている時には、海外遠征の話がでたり女性論がでたり、そして例の如く、各人各様の探検論に花が咲くのでした。冬の間にクラブの雰囲気に慣れてきた私は春から猛然と行動を開始です。

手許にある部誌の昭和45年度活動報告をながめてみましょう。『昭和45年、部昇格部室獲得、5月1日~6日新入生歓迎の大崩山系春合宿(縦走班のメンバーとして参加)、5月23日~24日第10次岩屋鍾乳洞調査(隊員として参加)、6月13日~14日第11次岩屋鍾乳洞調査(リーダーとして参加)、7月12日~8月10日○○大学・△△大学合同奄美郡島調査隊遠征(鍾乳洞斑員として参加)、10月10目~21日秋季合宿祖母・傾・夏木・鹿納・日隠縦走(縦走隊・サブリーダーとして参加)、12月25日~1月2日大山スキー合宿(サブリーダーとして参加)』

この一年のありとあらゆる合宿、遠征に顔を出していることがわかります。ただやみくもに動いた結果気がついてみると、秋や冬の合宿ではサブリーダーをつとめるまでになっていた自分を発見することになりました。

山では体力が勝負です。私達がよく唄った歌の一節に「美しい心が辛くもたくましい体に支えられる時がくる。若者よ、その日のために、体をきたえておけ。」というのがあります。このたくましい体をつくりあげるための原動力は、強靱な胃袋であります。逆に言うと、胃袋の大きく強靱な奴は、エネルギーを体内に多量に蓄積できるためどんなに辛い強行軍であっても弱音を吐くことはありません。

山では食事の量、つまり、どれだけの食物を胃袋の中に入れられるか、これがタフと呼ばれるか否かの別れめです。探検部では、食事のための茶わん、フォーク、スプーン等を“武器”と呼んでいます。人と争いながら食べる。つまり生存のための自衛の武器であり、他人の死命を制することも可能な攻撃的な武器でもあるのです。「武器は大きい方が良い」と考えた私は、スーパーに行って、味噌汁用の大きなボールと、犬の食器によく使うアルミのボール、そして、一挙にたくさんの食物をすくえる超大型のスプーンを買いそろえました。

初めての合宿に行っていざ食事となると、先輩部員から驚きの声があがります。「久恒、それホントに食器?」「スプーンというより、スコップだなそれは」「なべに使えるじゃないか」「水はけの道具に丁度良い」等々。この頃の私の唯一の自慢は、胃が大変丈夫だということでした。普通の人の2~3倍のスピードでメシをかきこむことができますし、何ばいでも食えるほど胃袋が大きく、又、腹をこわすことなど全くありません。合宿の食事の時は、犬のちゃわんにご飯を盛り、大きなスコップのようなスプーンで口の中に、次次とほおりこみます。最初のうちは、皆あきれて見物をしていましたが、そのままにしているといつの間にか自分の分け前が減るという事実にガク然とした部員達は必死の防衛策をとり始めました。合宿のたびごとに、次々と全員が大型の食器をそろえはじめたのです。一種の恐慌といってよいでしょう。

今まで、食事の前には「ご飯のうた」という歌を合唱してから食べることになっていました。「ごはんだ、ごはんだ、さあ食べよう。風もさわやか心も軽く、みんな元気だ感謝して、楽しいごはんだ、さあ食べよう、いただきまあす。」というのがそれです。しかし私の入部以来、悠長にこの歌を唄う人はいなくなってしまいました。「ごはんだ、ごはんだ、さあ食べよう、いただきまーす。」という大変な省略形で戦いに挑むのです。しかしながら、スピードで私にまさるものはおりません。何しろ、私にはいそいで食べるものですから、「ものをかむ」という習慣がないのです。要するに、食物を口の中にできるだけたくさんつめこんで、みそ汁で流しこむという方法なので、ものすごい早飯です。人が一杯目をようやく終るころには、三杯目をゆうゆうと味わって食べているという状態ですから、非難の眼を感じることも多かったように思います。

この、大飯食らいも、のちのち、様々な事件を起こすことになるのです。






Last updated  2007/04/22 09:11:52 PM
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2007/04/20
当時の探検部には部室がありません。先輩の下宿を部室がわりに使っていたのです。一年間の活動費として学友会から支給される予算がたったの八千円から一万円にあげる交渉が難事でした。学友会の予算担当者とえんえん四時間話しこんでUPしてもらったのでした。さて今度は根城となる部室を確保することにしました。

と言ってもオンボロのクラブの部室の集っている長屋には一つも空きがありません。そこで知恵をしぼって考えたのが、すでに部室を持っている既存のクラブの部室を奪うという計画です。まずあまり活動をしていないところで考え方が右寄りのクラブをさがすことにしました。調べると「俳句部」というクラブがこれに該当することがわかりました。

クラブの部員で、全共闘のメンバーをしていたGという男に、「俳句部は右翼的であり、けしからん。彼等に部室をあずけておくことは大学のためによくない。」というデッチあげの理論をつくり、構内の実力者闘争家に根まわしをしたのです。早速、全共闘名で、俳句部追放の紙をはりだしました。俳句部の罪状をならべたてたあと、「何月何日までに部室を空け渡せ、空け渡さなければ実力で追放する。後は探検部が使用する」という文言を並べました。

その当日、私達探検部員は、赤いヘルメットをかぶって俳句部に突入です。部屋の中には一人、浮世離れした俳句部の学生がいました。彼等の方でも泣く子と全共闘には勝てぬと退散してしまいました。「エイ、エイ、オー」とみんなで勝ドキをあげました。さて、部屋の中をみると、大きな金庫があります。しかしカギがありません。しかし大丈夫、探検部にはどんな男でもいるのです。ダイヤル式の複雑な暗号を解いてしまう先輩もいるのです。中味は何にもありませんでしたが、何はともあれ、今後の飛躍のための一里塚を築いたわけです。

今から考えると、全く無法なふるまいでしたが、当時は半分位は真剣にこのプロジェクトをすすめていたようです。俳句部の皆さん、ゴメンナサイ。






Last updated  2007/04/21 10:14:42 PM
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2007/04/15
しからば、探検部とは何でしょうか。これを言葉で言うのが非常に難しい。そもそも、この探検という言葉がよくわかりません。人に聞いても誰も納得のいく説明をしてくれません。

顧問であるMという先生は、「探検とは知的情熱の肉体的表現である。」と言ってました。単純な学生であった私はこの言葉に非常に感激ししばらくの間使っていました。しかし、冷静に考えてみると何を言っているのかよくわかりません。

ある人は、「探検とは、探り調べることだ。だから、学術調査をしなければならない。」と言います。しかし学術調査なら学生がクラブをつくってやるべきものなのかどうか疑問です。

入部して気がついてみると、毎日このクラブの人達は、「探検とは何か」というテーマで話をしているではありませんか。自分達のクラブの頭にかぶせている言葉さえもよくわからないおかしなクラブだなと思ったものです。

又、この探検部というクラブは、具体的な行動というと、山登り、スキー、鐘乳洞探査、無人島合宿、スカイダイビング、ちょうちょう採集という具合に多種多様な活動を行っていました。ところが意外や、このクラブは、文科系のクラブなのです。ワンゲルや山岳部が体育系のクラブであるのに対して。

「わけのわからないクラブに入ったものだ。」と思ったものの、一切、理屈は言わずに、ありとあらゆる合宿や遠征に参加することに決めました。当時の探検部は創立七年目の新興の小所帯のクラブでした。人数も大学院のOBを合わせても10数名だったと思います。

今から振り返ると、この探検部入部が私の学生生活を充実したものになるきっかけとなったのでした。







Last updated  2007/04/15 09:00:26 AM
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2007/04/14
探検部というクラブを読者はご存知だろうか。
このクラブに似たものに、ワンダーフォーゲル部(ワンゲル部)と山岳部という伝統のあるクラブがあります。ワンダーフォーゲルとはドイツ語で、渡り鳥という意味です。ヨーロッパの山々を若い青年たちが足で歩きキャンプをし、自然に触れ、健かに生活することをめざした活動が日本に輸入されて、今やほとんどの大学にワンダーフォーゲル部というクラブが実在しています。危険を冒すのではなくて、山々を楽しくハイキングし、キャンプでは、抒情性の高い山の唄を皆で唄うというのが平均的な姿のようです。

私は一時このクラブに在籍しており、夏の北アルプスに出かけたことがあります。北アルプスの雄・槍ケ岳の手前の大きな雪斜面を上から降りてくる時でした。ある東京の私大のパーティが逆に長い雪斜面を列をなして登ってくるのをみかけました。一人の新入生らしい男が、もう一歩も登れないという表情で下を向いてつっ立ったきりになってしまうと、前後から上級生の罵声がとびます。さらに冷たい雪をまるめてぶつけたりもしています。何と恐ろしい光景かとつぶやくと、ワンゲルの上級生が、「お前らよかったなあ。うちはああいうことはないゾ。」といいました。下界に降りたあと、新聞をみると、何人かの新人が上級生のしごきで死んでいました。イヤハヤ恐ろしいことでした。という様に比較的ゆるやかな山登りをするのがワンゲルと言って良いでしよう。

さて長い伝統を誇る山男集団の山岳部は、いわずと知れた山登りのプロたちです。彼等はロッククライミングもやりますし、冬山なども積極的に出かけます。私の高校以来の友人であるU君は、ある大学の山岳部に在籍しており二人でよく山の話をしました。二人で一緒に山登りに行ったこともあります。この彼も大学在籍中に山をやめてしまいました。あるロッククライミングで、彼は三番目にいたそうです。一番目と二番目がザイルをつないでいました。トップの男が足をすべらせ転落したそうです。ザイルをしっかり持ってそれをとめようとした二番目は、ささえきれずに、彼の眼の前で空中にポーンと飛びだしてしまったのだそうです。そして二人とも死んでしまいました。U君は、二人を山で焼きながら泣けてしかたなかったのだそうです。それ以来、彼は長年の両親の懇願を容れて山をやめることにしたのだそうです。これが山岳部の一面です。
          (明日に続く)






Last updated  2007/04/14 09:36:08 AM
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2007/04/08
大学には受け持ちの教授がいます。私のクラスはM先生という、ドイツ語の先生でした。この人は、昼間は「イッヒ、デルルルル」とかの発音をしながら、あまり面白くない授業を行います。授業が終ると、「今日はどうですか」と酒によくさそっていただきました。この先生は、酒が好きで一日に何軒も大学付近の飲み屋をまわります。ベロンベロンに酔っぱらってしまうのであとが大変なのです。それにこの先生は金払いが悪いらしく、どの店に行っても、「先生今度までにはお願いネ。」と飲み代の請求をされています。

このM先生には子供がいないようでしたが、ある日私は一度何かの機会にお目にかかったことのある奥様と少し話をすることがありました。子供っぽい少年であった私を気に入ったらしく奥さんは私の事を、「とてもかわいい学生さん」と先生に話をしたらしいのです。それ以来私は、「女房の恋人」と先生から呼ばれてしまいました。

したがって、先生が酔っぱらって道ばたに寝ようとする時に送って行くのはいつの間にか私ときまってしまいました。二人位で先生をかついで送り届け、玄関のブザーをならすと、奥さんが窓からのぞき、先生だとわかるとカギをしめてしまうのです。これにはおどろきました。冬の寒い時期にこごえながらブザーを押しつづけたものです。やっとあけてくれると今度は先生がまた、「上がって飲んで行きなさい」ときます。奥さんの顔と先生の命令との板ばさみ、苦労したものです。しかし、私が送って行くと、比較的奥さんの気げんがよかったので、この先生のおもりは私の役目となっていました。


もう冬に入ったころ、私は、先生の家のある方向にある丘までマラソンをしました。この頃はまさに閉塞状態で自分で自分がわからなくなりしょんぼりしていた時期です。私は、「主体性の確立」という言葉が当時好きでした。そのためには、異る立場のそれぞれの人の意見を聞き、どれが正しいのかを考えたうえで自分の立場を決定しようというアプローチをとっていました。その結果全く頭が混乱してしまっていたのです。

マラソンで丘のうえまでのぼって夕陽をじっとみていて、ハッと気がついたことがありました。「そうか、わかったぞ。自分は今まで主体性をつくるために、色々な意見を聞いてきたが、実は、主体性を全く喪失する結果になってしまったのだ」そしてそれはなぜかと考えると、自分は今まで言葉をもてあそんでいただけなのだということに気がつきました。

行動しない言い訳をごねていたのだとわかった私は、「行動しよう、何でも良いから無目的に行動だ。」と考えました。この夕陽をみながら悟ったことが私の大きな転機となったようです。こうして、私は従来から少し関心を持っていた、探検部に入ることにしました。大学一年の冬のことです。







Last updated  2007/04/08 03:45:21 PM
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