2021/05/25(火)16:25
横浜市泉区の古道を巡る(その33): 柏尾通り大山道~庚申塔道標~出羽三山供養塔~市川花十郎 生家~ 長後街道・立場交差点
「横根稲荷神社」を後にして「神奈川県 泉警察署」方面に向って富士山を見ながら進む。
途中から畑道を左に折れて進み富士山にカメラを向けたが。
見通しが悪く、山頂の雲も多くなり。
そして「かまくらみち」に出て右折して「和泉小学校交差点」に到着。
「和泉小学校交差点」角にあった案内板と石碑。
「柏尾通り大山道柏尾町の不動坂から岡津・和泉町・上飯田町を経て大山へ向かう大山道は「柏尾通り大山道」と
呼ばれ「大山参詣の道」とし内陸部とを結ぶ「くらしの道」として賑わった。
大山の信仰圏は、県内・千葉・東京の商人・職人層をはじめ、関東地方・東海地方まで広がり
大山参詣が盛んになり、門前町ができ、大山道が開かれた。」
「江戸時代の大山道主要八道」
「柏尾通り大山道」は東海道方面からの経路で、現在の神奈川県横浜市戸塚区柏尾町、
不動坂から大山へ向かうものである。この経路の起点は不動坂と呼ばれ、道標や石碑が
多くみられる。
明治5年のころに、講衆同士が大げんかを始め、「戸塚の血の雨」と呼ばれる騒ぎになった。
なお、下粕屋からは矢倉沢往還(青山通り大山道)を利用して大山に至る。
【http://blog.livedoor.jp/enoshimaoyaji/archives/32156811.html】より
八王子道との「和泉小学校交差点」の角にある「庚申塔」。
側面に「東かしお道 西大山道」「南ふじ沢道 北八王子道」と刻まれており道標を兼ねていた。
「柏尾通り大山道」を西に進んで行くと農園の中の林には桜の花が。
「横浜市立和泉小学校」前を通過。
横浜市泉区和泉中央北1丁目31-13。
農園の中の菜の花。
そして道路脇あった石碑。
鎌倉郡、天保十四年卯年四月の文字が。
「出羽三山供養塔(でわさんざんくようとう)」のようであった。
出羽三山供養塔は、山形県の出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)参拝の記念に造立された石塔
であると。
道路脇にあった「蔓日日草(ツルニチ二チソウ)」の可憐な花。
ズームして、雑草化しているのであろうか?
そして八重の斑入り椿の花。
ズームして。
「柏尾通り大山道」の住宅街を進むと前方右にある石碑を発見。
破損してしまったものも。
これは道祖神であろうか。
隣の石碑は笠?がなくなっていた。
中には雨水が溜まり。
寂しそうに。
そして右手にあった集合住宅の建物のある場所が「市川花十郎 生家」👈リンク
のようであった。
市川花十郎は、県内を代表する農村歌舞伎「市川花十郎一座」の座長。
「柏尾通り大山道」を離れ左に折れて進むと、前方の電柱の下にも石碑が。
小さな石碑。
庚申塔道標であろうか。「右・・・」
そしてここには石鳥居と石の祠があったのだが、なくなってしまっていた。
現在のGoogle Mapのストリートビューでは下の写真の如くに。
長後街道を東に進むと「立場」交差点の角にあった庚申塔。
角柱型「文字庚申塔」。「中田邑」の文字も確認できた。
一時的に、中田広町庚申群に含まれていたが、こちらに再移設されたとネットから。
向かって左側には。道標:「南 婦ぢ沢 北 八王子道」と。
向かって右側には「東 戸塚柏尾道 西 大山厚木道」と彫られているのだと。
そして長後街道の「立場」交差点を渡り「かまくらみち」を南下して行ったのであった。
・・・もどる・・・
・・・つづく・・・