JINさんの陽蜂農遠日記

2022/05/24(火)07:37

茅ヶ崎市の寺社旧蹟を巡る(その47)・                              堤神明谷の道祖神~地蔵尊~正覚院~堤 仲谷の道祖神

茅ヶ崎市歴史散歩(84)

【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次 「浄見寺」を後にして東に向かって進む。 道端には「山吹(ヤマブキ)」の花。 「ツルニチニチソウ(蔓日々草)」。 そして「堤神明谷の道祖神」。 神奈川県茅ヶ崎市堤4276−3。 「道祖神」碑。 「明治三庚午年正月吉祥日◯下」の文字が。 右隣に「双体道祖神」。 そして次の目的地の「正覚院」に向かって進む。 ミツカドネギであっただろうか? 白い花弁に淡いグリーンのラインが印象的。 西洋ミツバチの姿が。 ピンクの椿の花。 近づいて。 道路脇にあった社。 中には地蔵尊が。 台座には先祖?供養の文字が。 「安永九年 (1780)子十一月日」の文字が。 そして「大岡越前通り」に出て東に進む。 左手前方に見えてきたのが「正覚院」。 「正覚院」の入口に到着。 神奈川県茅ヶ崎市堤3681−1。 寺号標石「堤源山 正覚院」。 「正覚院檀徒駐車場寄進芳名」碑。 山門の手前両脇に大きな石仏。 「布袋尊」。 大きなお腹に幸せな笑顔になれる布袋様の石像。布袋様は不老長寿と無病息災の神様。 「延命地蔵尊」。 「布袋尊」の後ろにあった「高座郡南部地蔵尊札所」碑。 相模国高座郡南部地蔵二十四札所の第2番そして相州小出七福神巡りの布袋尊の札所。 朱に塗られた「山門」。 扁額「堤源山」。 山門を抜けると右側にあったのが「六地蔵」。 「為禅徳院悟友宗顕居士菩提」碑。 六地蔵を奉納された方の名前の刻まれた石碑。 稲荷神社であろうか? 社殿。 水子地蔵尊であっただろうか。 お顔をズームして。 「嗚呼九月一日」碑と石仏。 「嗚呼九月一日」碑。正面の左下には小さく「名月書」と。 大正12年9月1日11時58分。 相模湾沖を震源として、大きな地震があった。 ここ茅ヶ崎も、関東大震災で大変大きな被害を受けた。 この石碑は、ここ堤の「正覚院」にある十三回忌の供養碑。よって1935年(昭和13年)頃の 建立であろう。 裏面には「大正十三年大震災 殃死者十三回忌」の文字。 以下犠牲者?と見られる五人の名が刻めれていた。最後に「伊藤養山建之」とあった。 更にその脇に「◯・・・・一日・・・・言◯政司作」と碑の製作日付と製作者が刻まれて いるようであったが解読不能。養山は寺の29世上人とのこと。 石仏に近づいて。 足下にも多くの石仏が囲むように。 「十三重石塔」。 「本堂」裏の墓地を見る。 そして「本堂」。 宗派 曹洞宗 開山 決翁和尚 創建 17世紀 本尊 釈迦如来 先代本堂は、明治期に修験道場として利用されていたという。 扁額「正覺院」。 「布袋尊」の大きなお腹、笑顔を振り返りながら「正覚院」を後にする。 次に訪ねたのが「大岡越前通り」を左に入った場所にあった「堤 仲谷の道祖神」。 神奈川県茅ヶ崎市堤3412-3。 「八幡神社舊跡」碑。 この場所に「八幡神社」があったのだろうか。 石祠(流造)。 その右に三基の石碑が並ぶ。 右側の道が「古道」なのであろう。 左から「文字庚申塔」。 「角柱文字道祖神」 明治二(1869)年と。 「馬頭観世音」 「馬持中」の銘は「馬を所持している人々の集まり」であると、学友から。 そして茅ヶ崎市堤地区の住宅街を進むと左手にあった旧家の門。 そして小出県道404号線の民家の庭にあった神社。 民家の為、中にはいれず道路脇から。稲荷神社のようであった。                               ・・・​もどる​・・・                   ・・・​つづく​・・・

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