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JINさんの陽蜂農遠日記

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2016.09.24
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カテゴリ:国内旅行

6Fまでエスカレーターで上がると、このフロアーは『E 江戸ゾーン』。

正面に江戸時代の長さは1/2であるものの原寸大の日本橋の姿が。 

DSC02432_R.JPG

存在感たっぷりのこの木造の模型は橋長:25m, 幅員:8m。

この場所は撮影スポットとしても大人気。 

DSC02433_R.JPG

5階と6階が吹き抜けになっているため、その日本橋から、館内を見渡すことができた。

眼下に広がる江戸。

5階と6階にまたがった江戸ゾーンでは、様々な歴史資料や展示物を見ることが

できたのであったが、小さな子どもたちには、多くの体験できる展示物が。

眼下には『芝居小屋 中村座』。

江戸時代の代表的な歌舞伎の芝居小屋である中村座の正面部分を、

原寸大(間口11間、奥行き3間)で復元。

DSC02437_R.JPG

こちらは『朝野新聞社(ちょうやしんぶんしゃ)』。

成島柳北が社長として始めたこの新聞社は、1874(明治7)年に「朝野新聞」を

創刊。明治政府を批判し、自由民権運動が高まったころには“民権派”の新聞として

人気が高かったと。

この建物は銀座煉瓦街の中心、現在の銀座4丁目交差点辺りにあったと。 

DSC02438_R.JPG

日本橋を渡り終えると目の前に現れるのが、壮大なジオラマ模型。

「江戸ゾーン」エリアのはじまり。

多くの観光客が日本橋を渡って「江戸ゾーン」に。 

DSC02443_R.JPG

目の前に拡がる美しいジオラマは、もはや芸術作品そのもの。

わずかに残る資料や情報をもとに、江戸の町割りに基づいた街並みや人々が

事細かに作られていたのであった。

江戸のにぎわいそして町の音ががそのまま伝わって来るようで。

双眼鏡も用意され、一人一人の人物の顔、衣装そして家の中まで楽しむことが

出来る、いつまでも見つめていたい空間ジオラマ。

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『E1 江戸城と町割り』 

江戸城「本丸・二の丸」のジオラマを北の方向から見たもの。

手前の天守閣は「明暦の大火(1657)」で焼け落ちついに再建される

ことはなかったと。

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江戸城本丸

大広間、松の廊下、白書院のジオラマ。

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江戸城 忠臣蔵でおなじみ松の廊下。

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江戸城大広間。

江戸城内最大の書院である大広間は、将軍宣下の儀式、武家諸法度発布、

年頭の拝賀などの公的行事を行う最も格式の高い御殿である。上段之間には

将軍が坐する。将軍の呼び名は「公方様」「御公儀様」「大樹様」と呼ばれていた。

権威を演出する大広間では大名の座る場所は格式によって厳格に定められていた。

以下、中段之間、下段之間、二之間、三之間、四之間、後之間、納戸が中庭を囲み

合わせて500畳で構成されていると。

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寛永期の武家地 案内板。 

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徳川家康公がでんと構えていた。 

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徳川将軍家・御三家・御三卿系図 

徳川御三家は、江戸時代において徳川氏のうち徳川将軍家に次ぐ地位を持っていた

3家のこと。

御三卿は、江戸時代中期に徳川氏の一族から分立した大名家である。以下の三家を指す。

1.田安徳川家(田安家) - 始祖は徳川宗武(第8代将軍徳川吉宗の次男)

2.一橋徳川家(一橋家) - 始祖は徳川宗尹(第8代将軍徳川吉宗の四男)

3.清水徳川家(清水家) - 始祖は徳川重好(第9代将軍徳川家重の次男)

徳川将軍家に後嗣がない際に将軍の後継者を提供する役割を担った事そして

徳川御三家へ後継者を供給することにもなった事がこの図一つで理解することが

できるのであった。

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ご存知、忠臣蔵で有名な赤穂浪士の討ち入りの発端となった松の廊下。

襖を飾る狩野派の障壁画に松が描かれていたので、松の廊下 と呼ばれている。

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吉良上野介と浅野内匠頭の刃傷沙汰があった松の廊下そして襖絵が続く。  

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大名・旗本・御家人 の説明図。

大名と旗本・御家人の関係が説明されていた。

旗本・御家人は徳川将軍家直属の将軍の家臣。大名とは全く無関係。

そして大名もまた徳川将軍家に服属する家臣。

つまり立場は同列であり、大名は旗本・御家人より格が上。

大名は石高10000石以上、江戸中期には約260人いたと。

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中宮が牛車で移動の絵巻図。 

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江戸時代の衣装。

陣羽織( 七つ槌車紋 )。

陣羽織とは、武家が陣中で具足の上から着用した羽織の事を言い、多くは袖がない。   

当初は 防寒 ・ 防雨の為に着用していたが、江戸時代になると 主として野外での

「 儀礼服 」として用いられたと。主に絹や羅紗、ビロード等の布が用いられた。

背面に 定紋 が添えられ、刺繍が施された 装飾豊かなもの。

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 甲冑。『本小札紅糸威胴丸』

出羽国久保田(現秋田県)の佐竹家に伝来した具足。(江戸時代後期)

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大名のお姫様が乗っていた駕籠。

大名が乗る駕籠とは違い、女性らしいデザインが印象的。 

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 東海道五十三次図屏風。狩野宗信作。

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6Fから5Fにエスカレータで下るとそこは『E2 町の暮らし』展示コーナー。

ここでは、実物大の「長屋」などがあります。長屋とは細長い建物を数戸に

区切り借家としたもので、主に江戸町人が住んでいた。

ここにあるのは最も一般的だった、「九尺二間の裏長屋」という間口約2.7m(9尺)、

奥行約3.9m(2間)の大きさの家。家の中は、人形を使って当時の人々の様子を再現。

 

棟割長屋の一室に復元された江戸庶民のお産の様子。

江戸時代の出産は、一般には座産で、産婦は天井から吊り下げた綱や添え人を

支えにして子供を産んだ。生まれた子には産湯をつかわせるが、このとき産婆は

たらいの前に腰かけ、赤児をうつ伏せにして両脚をのせ沐浴させた。

これはへその緒の切り口に湯がかかるのを防ぐためと、背中は五臓を宿す大切な

ところであるため眼を離してはいけないという中国の説によるものだという。

一方、産婦の方も、頭に血がのぼらないようになどとの俗説から、産後も産椅や

積み上げた布団によりかかり、座ったまま7日7夜を過ごさなければならなかった。

そのために健康をそこねることも少なくなかった。」(展示の説明より)

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長屋の奥で指物(さしもの)をやっている指物職人の家。

指物とは、板材を組み合わせて作る木工のことで、日本でも古くから

技術が発達しているが、これがとくに発達したのは江戸時代とのこと。

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町火消しの配置(江戸中期)

大岡越前守忠相は、享保3(1718)年には町火消をつくり、享保5(1720)年には

いろは四十八組を編成し、本格的な町火消制度を発足。

いろは組は、隅田川を境とした西側の区域に組織されたもので、

「へ」「ら」「ひ」「ん」の四文字組は「百」「千」「万」「本」に変えられたと。

「へ」は屁に、「ひ」は火に通じ、「ら」は隠語、「ん」は語呂が悪いというのが、

その理由であったと。

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火消しの纏(まとい)。

体験展示もあり、纏を持つこともできるようになっていた。 

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町火消し絵図。

『火消千組の図絵馬』(天保4年・1833、歌川国芳/画)

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町の住宅の家族と年齢構成図。 

幕末(1861年、文久元年)の四谷塩町一丁目では、核家族を中心とする

3~4人前後の家族が最も多く見られた。年齢で見ると、20~40歳ほどの人が

もっとも多かったと。

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庶民の食事。

イワシの目刺し、ご飯、漬物、汁物。 

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常設展示5階の浮世絵の製作過程を展示したコーナー。

名所江戸百景 『亀戸梅屋敷』

ゴッホが油絵で模写した事でも知られる歌川広重の作。

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下段が版木(色版)の実物:版木には硬い山桜を使用すると。

中段がその版木単色で摺ったもの。上段は色版を重ねた製作過程。 

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Last updated  2016.09.24 15:38:58
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