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ひよきちわーるど

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2005.09.24
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カテゴリ:think about myself
皆様、おはようございます。



ただいま午前10時40分過ぎ。




昨夜は完徹でございました。

朝の8時過ぎまで起きておりまして
つい先程 仮眠からさめました。





おそるべし、・・・喘息。

発作が起きると眠れないし
さりとて薬を使えば これまた副作用で眠れない。

どちらに転んでも眠れぬ夜を過ごすことになります。





けれど今では
このような状況にも幾分慣れて参りまして

以前のように悲愴感漂うもの(笑)ではありません。

またか、という軽い気持ちで
病気を受け入れる気持ちになっています。




神経質なくらいに気を付けていたって
発作が起きるときには起きる。

それなら自分のペースをくずさずに
心に波風を立てることなく
静かに過ごしていたい。

上手に 自分の体とつき合っていくほか
ないのではないかと思うようになりました。











昨夜は2歳の頃までの記憶について書きましたので
今日は幼稚園の頃のことについて。







・・・皆さんは ご自分のこと、好きですか?


言い方を変えるとするならば
自分には絶対的な価値がある、と心の底から思えますか?





例えば 自分を取り巻く状況が変わってしまったとしても
それでも自分には絶対的な価値がある、

(もっとわかりやすく言えば)

どんなに状況が変わってしまったとしても
自分のそばにいる人は ずっと私のこと好きでいてくれる、という 

そういう確信がありますか?







ここで言う「確信」とは
いわゆるうぬぼれとか強い自信とか そういうものではなく

ただ純粋に「You are OK. I am OK.」と言える
健やかな精神状態にあるか、と言うことです。












ひよに関して言えば そういう確信はありません。

40にもなろうかとしている時になっても
恥ずかしながら 未だ持ってはおりません。




「I am OK.」という意識を持っていなければ
これから生きて行く上で辛いぞ、と自分に言い聞かせるのですが

そういう意識を持とうと思いましても
じゃ、即座に持てるか?となりますと
そういうものでもないのですね。










自分には絶対的な価値などないのではないかと
感じるようになったのは 幼稚園の頃です。

もちろん そんな、眉間にしわなど寄せて
「あたちにはじぇったいてきな価値が・・・」などと
思っていたわけではありません(笑)。








話は飛びますが
私の母は次女でして わりと思ったことをぽんぽん話す人でもあるのですね。

開放的な性格の人で とても明るいんです。

ぽんぽん言うことにつきましては
本人、悪意など全くないのです(笑)。

悪意のないことは 娘である私が一番よくわかっています。









その母がこう言うのですね。

当時5歳だったひよを前にして。


「○○(ひよの名前)が生まれたときには
 もう、可愛い可愛い言って可愛がっていたけれど

 △△(弟の名前)が生まれてみたら
 それまで可愛いと思ってた○○が お猿みたいに思えてね。」

「こんなお猿みたいな子を 夫婦2人して可愛がってたのかって!
 親ばかだね~。」





うーん(笑)。
親となった今では

「お猿みたいな子でも本当に可愛くて好きだったのだよ」という

母からの熱いメッセージだとすぐに分かるのだけれど




当時5歳のひよにとっては
もはや衝撃以外の何ものでもなかったわけで(笑)。







で、その時、衝撃受けて
たとえ泣きながらでも

「もう、私のことなんか、可愛くないの?」と

訊けば良かったのだろうけれど

どうしてでしょうね、
訊くだけのエネルギーが残っていなかったんです。






衝撃を受けとめるだけで
エネルギーを使い果たしてしまったのでしょうか(笑)










確かに弟は、もう、天使みたいだったんです。

肌は真っ白で ふくふくっとしてて
くるくる巻き毛で 産毛も金色。

利発。闊達。
愛嬌もあって実に可愛らしい。









親戚からの扱いも全く違ってくるわけなんですね。

育ったところは九州の田舎。
男尊女卑の残る土地柄。



部屋の中にしましても
男性の座るところ、女性の座るところが決まっていたわけで

跡取りの座る場所もきちんと決まっていて。










私たち女性陣ですか?

そんな、その他大勢もいいところです。




おなごがでんと座っていてはみっともない。

とにかく親戚の集まっている時など
ちょこまかと独楽鼠のように動くべし。









・・・大人となった今では分かるんです。

そんな土地柄だったからこそ
弟と私の扱いが全く違ってもそれは当たり前だったのだと。

今から40年近くも昔の
九州での話ですからね。












でも 当時5歳のひよに
そんなこと分かるはずもなく

ただ 淋しかった。











要するに
「私はもう、いらない子なの?」と誰かに訊きたかったんです。

あんなに大事にされている弟がいるからには
私の居場所は もうないのかな?って。

自分の存在理由が見あたらなかったんです。








どんなに可愛がってもらったとしても、
自分以上に魅力のある存在がでてきたら

もう、お猿みたいな私なんか
可愛がってもらえないのかな?って。








可愛がってもらっていたのは 私が初めての子どもだったからであって

私よりも可愛い子供が生まれてきたら

愛情も関心も何もかも全部
その可愛い子どもが持っていってしまうのかなって。










私に向けられていた愛情は絶対的なものではなく
状況次第で変わってしまうものだったのかと思った。









何がどうなっても絶対に変わらない。

私を包む愛情は何も変わらないという
安心がほしかった。








望んでも得ることのできない絶対的な安心。

・・それを手に入れることができないのは
自分に魅力がないからだと思ったんです。







もし、自分がもっと可愛かったら
弟のように元気のいい子どもだったら

お猿さんみたいじゃなかったら




そうしたら
お父さんもお母さんも 
私のそばを離れなかったんじゃないかと思いました。






だから弟や妹たちが「お父さん、お母さ~ん」と言って
両親の胸に飛び込んでいくのをじっと見ているだけなんですね。

自分もそうしようかなとは思うのですが
そうするだけのエネルギーが残っていないんです。




自分がお父さんたちの胸に飛び込んでも、
お父さんたち、嬉しくないだろうなって そんな風に考えてしまっていたんですね。







今、5歳の頃の「私」が 自分の目の前にいたら

「つべこべ言わんと飛びこまんかい!」と

その手を引っ張って両親のところに連れて行ったかもしれない。








でも、それは 私が親となり、
そして当時の両親の気持ちも少しは分かるからこそできることであって

当時はその小さな頭で
人生経験5年しかない頭で(笑)

ちまちまちまちま考えていたのでしょうね。











安心したくて、
でもその安心を手に入れる方法すらわからなくて

たったひとこと
「私のこと、好き?」って親に訊けば それですむ問題だったのに

それができなくて
















今なら分かることばかりなのですけどね。




弟は妊娠7ヶ月で生まれてきちゃったんです。

生まれたばかりの頃、まだ爪もできておらず
皮膚など血管が透けて見えていたそうなんです。

お布団は座布団。
お風呂は洗面器。

今と違って 医療面でもそう発達していたわけではありませんでしたので
超未熟児であった弟を育てていた両親は 本当に大変だったことと思います。

そんな中でしたから
比較的、手もかからなかった私と
一緒に過ごす時間が減ってしまったのも当然だと思うのです。













本当にね、今なら分かる。



両親は両親で 本当に一生懸命で大変だったんだな・・・と。

決して 
私にたいする愛情が失われたわけではなかったのだなと。

















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Last updated  2016.01.01 23:49:23
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