ひよきちわーるど

2015/10/27(火)08:56

私の中を流れるもの

思い出の人(64)

先日 実家の母より 祖母の話を聞きました。 この日記にも何度か出てきている母方の祖母についてです。 30代の若さで幼い娘を遺し亡くなった人でした。 私自身、その祖母の体質や面差しを受け継いでいることは 知っておりましたけれど 今回は祖母の遺した「言葉」を 実家の母から初めて聞いたわけです。 母方の祖母の家は長野にありました。 当時は下伊那郡というところだったそうです。 祖母はその地で生まれ育ったわけです。 当時 関西にて織物の仕事をしていた祖父と知り合い 祖母は友人を通して 自分の想いを祖父に伝えたそうなのです。 (おばあちゃま、ちょっと大胆) 祖父からは 自分はさほど裕福ではないこと だから苦労をかけるかもしれない、 賭け事などは一切しない人間であること だからその点は安心してほしいことなど 何点か話があったそうなのです。 祖母はそれらを聞いた上で それでもお嫁に行きたいことを告げたそうで・・・。 (おばあちゃま、かなり大胆) 70年近くも昔に 祖母は遠い長野からこの関西にお嫁に来たわけです。 彼女は一体どのような思いで この関西の地に嫁いできたのだろうと思うのです。 私、それまで祖母のこと おとなしい女性だとばかり思っていました。 いえ、確かにおとなしい人だったのかもしれませんが その内には こうと決めたらそのまま進んでしまう一面もあったのだな・・・と。 (まるで鏡を見ているようですが(^^;)) 3人目の娘を出産しましたあと産後の肥立ちが悪く 喘息、肺炎を引き起こしそのまま亡くなってしまったと聞きます。 慣れぬ土地での生活、 慣習も言葉も何もかも違う土地での暮らしは 想像以上に大変だったのでないかと思われます。 ましてや祖母は身体もそう強くはなかったと聞きますので ダメージも大きかったのかもしれません。 でもね、短い結婚生活ではありましたが 祖母は幸せだったのではないかと思うのです。 祖母はあの当時 自分の意志で結婚を決め 遠い土地に嫁いでいったわけです。 ・・・私も同じ道を歩いてきましたため  祖母の気持ち、とてもよく分かります。 13年前の春の日 私は九州からこの関西の地に嫁いできました。 美容室で白無垢を纏い 着付けの先生方のご配慮で 式を挙げる直前、  私は控え室にて自分の時間を持つことができました。 時間にして一時間ほどでしたでしょうか 控え室の中には古い調度品が並び 隅々まで磨き上げられていました。 その日は朝から雨が降り始め 部屋の外では 春の雨が静かに降り続いていました。 思えば 今日から夫となる人以外に誰も頼る人はいず 自分の旧姓も仕事も捨てて 真っ白な生活の中に入っていくわけです。 自分の周りの人々の 聞き慣れない言葉のアクセントひとつにも驚く有様でした。 話すテンポもとても速く上手く聞き取れないのです。 先生方に着付けて頂いている間にも 今まで聞いたことのない言葉を耳に致しました。 おそらくはこの関西地方独特の言葉だったのでしょう。 ひとつひとつのことに驚き、戸惑い、迷い それでも、一人この関西の地に嫁いでくる自分は 一体何なのだろうと思いました。 新しい生活、全く知らない土地、 耳慣れないアクセント。 今日から身内となる夫の家族、親族。 そういう様々なことが押し寄せてくる中においても それでも夫の元に嫁ぎたいと思うこの気持ちは 一体なんだろうと思いました。 人を心から好きになるということは 自分の人生を大きく覆すほどのエネルギーを秘めているものなのだと思いました。 結婚しましてから14年目を迎えますけれど 式を挙げる直前に思った多くのこと、今でも忘れることはありません。 70年ほど昔、おそらくは祖母も このような気持ちでこの関西に嫁いできたのでしょう。 時の流れを超えて 私は彼女の体質、面差しを受け継いだばかりではなく 想う人のもとに嫁する時の気持ちをも 共有していたのだと思うのです。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る