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ひよきちわーるど

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2006.09.23
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カテゴリ:think about myself

そもそも、今回のこの悩みの発端は夫との会話にありました。

現在、私どもの所属しております宗教組織にて 例えば我が家など 
信仰を同じくする近所の13世帯の方々のお世話をすることになっているのですね。
そのほとんどが80代90代の高齢の方々なのです。

時折「お元気ですか?」とおうちに伺います。
そうしますと高齢の方々は1時間、2時間といろいろなお話をなさいます。

私も精神的体力的に余裕のあるときにはよいのですけれど
そうでないときなど、やはりしんどく思ってしまうのですね。

で、私自身、もともと人見知りの激しいタイプでもありますので
こうやって余所のお宅に伺うことも、人と話をするということも
正直申しまして苦痛なのです。





私自身、人に会うのが苦痛だということは
・・・自分は人間嫌いなのか?と思うようになりました。
それとも、時間的に束縛されるのがいやなのか?とも思いました。

こうしてお宅に伺うこと以外にも、家事、育児、仕事、畑と
やることなどあとからあとからいくらでも出て参ります。

けれど私の身体はたったひとつ。
休養も挟まなければ体調を崩してしまう。






そんな中「人間嫌い」について少し考えてみたのです。

いえ、もっと正確に言いますと 人そのものはきっと好きなのです。
ただ、人と一緒に過ごすのが苦痛なのだと思います。





大学時代にもこのようなことを友人に申しましたら
「ちっちは冷たい」と言われました。

おそらくこのことにつきましては(私の推測でしかありませんけれども)
人と一緒にいることを苦痛と感じる感覚自体が「冷たい」のだろうか、と。






そしてまた 結婚前お付き合いしていました方にも
「冷たい」と言われたことがございます。

確か以前の日記にも書いたと思いますけれども
自分の これだけは譲れないという価値観が相手と余りに違いすぎて
結局はその人のもとを離れることになったわけですが
その時にも「冷たい」と言われました。

愛情よりも価値観をとろうとするその考え方について
「冷たい人だ」と言われたのです。





そして今回、夫から言われました「冷たさ」。
このことにつきましては 
先日mskさんから頂戴しましたコメントへの御返事に詳しく書いておりますが

考えてみましたら 友人その他いろいろな方から
同じようなことを言われているわけです。

確かにその「冷たさ」の中身はそれぞれ微妙に違ってはおりますけれども
でも、おそらく根本は同じではなかろうかと。







ここで、視点を変えて考えてみたのですが
私、やはり自分自身が好きではないのです。

自分の一体どこに仏性があるのか?と思うのです。
どなたからか「それでも皆仏性を秘めているのよ」と言われたとしましても

「私の中には多分、ないかも」などと醒めた目で見てしまう、
そんな自分も確かにいるのです。

信じたいという気持ちはあります。
しかし、一体何をもって足がかりとしたらよいのか分からない。







自分に対してそんなふうに思っておりますから
他者の中にも仏性があるということを信じることができないのでしょうね。
だからこそ 自分のこともそして他人のことも好きになることができない。




つまりは私自身、他者に対する
深い共感能力に欠けているのではないかと思ったのです。

だからこそお世話をしている高齢の方々に対して
同じ信仰の仲間に対して
共感の心で接することができないのではないだろうかと。





何もベタベタくっつく必要などないのですが
例えば近所の86歳のお婆ちゃまに対しましても
散歩の時こけたりしないか、夕食はきちんと摂っているか
淋しい思いをなさっているのではないか

そんなふうに温かな想像力を広げていける自分に
なっていきたいと思ったのです。




この前も、92歳の方がこう仰るのです。
「この年になったらばね もう死ぬことしか考えてない」と。

そんなふうに仰るお婆ちゃまを前に
私、何を言ってよいのか分かりませんで
ただお話を聞くことしかできなかったのですね。

考えようによりましては 
この92歳の方の半分も生きていない私に何も話せるはずなどないのですから
それはそれでよかったのかもしれないのですが

それでも、お話を伺いながら自分自身、
もっと温かな心でこの方に向かいあいたいと思ったのです。



でも、向かい合うだけの度量も、想像力も温かさも
今の私は持ち合わせておりません。

・・・・そのことを痛感しました時
本当に人を好きになれる自分になりたいと思いました。

確かに暑苦しい自分になる必要はないのでしょうけれど(笑)
でも、「おばあちゃん、元気?」と相手のふところに笑顔で飛び込んでいけるような
そんな女性になりたいと思ったのです。




自分を嫌っている限り、おそらくは
人のことを思いやれる自分になれるはずもない。

「自分のことを好きになれない」
その根本が「自分の仏性を信じることができない」という思いだったのです。

そしてその思いが先日の「葛藤」という日記に繋がっていくわけです。






考えてみましたら 「私自身、温かくなりたい」と願う、
そのきっかけを作ってくださった近所のお婆ちゃま。

夜中まで私の話にお付き合いくださり
「白蓮華のように」と話して下さったお仲人さん。

そしてこの数日間、ずっと話し合いに応じ
私の疑問に答えてくれる夫。



たくさんの方に支えていただきながら 守っていただきながら
周りの方々に感謝し 
少しずつでも成長していける自分でありたいと思います。












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Last updated  2015.09.26 05:44:48
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