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ひよきちわーるど

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2006.10.16
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カテゴリ:生きていくこと

ここ1ヶ月の間につらつら思ってきたことを書き綴ってみようと思います。
まるでまとまっていないのですが 自分の頭の中を整理するためにも
書き留めておく必要があるかな?と思いまして。

ですので 内容としましてはかなりばらばらで
支離滅裂の部分もあるかとは思いますがご容赦の程。

頭に浮かぶものをそのまま書き付けていきます。
まとまるのを待っていたら、今度は今まで考えてきたことをも忘れてしまいますのでね(笑)。





これまで40年間生きてきまして思いますことは 
今までは自分の外側にいろいろなものをくっつけてきた時期だったなと。
自分の内面を凝視することなく、ただ様々な知識を取り入れてきたに過ぎなかったと。

自分の年齢を考えてみますに これからは
勿論多くのことを吸収していくことも大切なことではありますけれども
自分の内面をしっかりと見据えていくべき時期に入ったのではないかと思うのです。




「自分を磨く」という言葉に出逢いますと どうしても
多くのものを吸収していく方向に目が向いてしまいがちですが
吸収してそれでおしまい、というわけではないと思うのですね。

20代の頃でしたら吸収するばかりでも良いかもしれませんが
40代という年齢ともなりますとそういうわけにはいかないように思うのです。

本を読む、講演を聴きに行く、美術館に足を運ぶ。
そのこともとても大切なことではありますが
結局のところ「じゃあ、自分はどうなんだ?」に行き着くわけなんです。

「正味の自分」に思いを致さぬ限り
どこに行き、何を見、何に触れたとしましても絵空事で終わってしまう。





話は飛んでしまいますけれども 先日ある方とお話ししましたときに
「死」についての話になったわけです。

死を迎えたときに 自分に残されているのは「正味の自分」なのだと。
地位や名誉、知識など自分の外側に貼り付けたものなど何の役にも立たないと。

安祥として死を受け入れるためには
「自分の人生にはなんの悔いもない」との満足しきった境涯が必要なのではないか。
そういう結論に至ったわけです。

・・・そして私自身、自分の人生に対し何の悔いもないと言い切るだけの人生を
今送ってるだろうかと不安にもなったわけですね。





悔いを残さぬ為の人生って一体どんな人生なのだろうと思ったのです。

例えばね 自分の仕事に生き甲斐を燃やしまさしく完全燃焼の人生を送ったとします。
そういう人生を送った後、何の悔いも残すことなく旅立てるだろうかと
私自身、疑問に思ったわけです。

そう考えますと 一体何のために
仕事に生き甲斐を燃やしたのかが大事になってくるわけでありまして
仕事の中に「何」を見いだしていたのか。何故仕事に生き甲斐を燃やしていたのか。

結局は「自分は何を求めていたのか」に行き着くわけで
やはり「自分」と向き合う以外なくなってくるのではないかと思ったのです。





自分でもおそらくは気付いていないだろう「自身の本音」に向き合うということは
想像以上にしんどい作業ではないかと思います。

人間には仏法で説かれているところの「十界」が内在しているわけで
様々な生命状態が自身の中に秘められているわけです。

自身の中の「餓鬼界」「畜生界」を凝視するって、これはもう、
自己嫌悪などという言葉では言い表すことなどできないのではないかと思うのです。




確かずっと昔にも、こんなことを日記に書いたなと思い探してみたのですが
・・・ありました。

「天に対して1」  「天に対して2」の日記に、当時の自分の思いを書いていました。
あの頃も、そして今も、考えていることはそう変わらないのだなと実感します。





なんだかね、生きている間ずっとこういう疑問にぶち当たりながら
それでも、前に進んでいくしかないんだろうなって思うんです。

生きているうちに必ず何らかの答えを探り当てたいと思います。














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Last updated  2015.09.16 13:03:05
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