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ひよきちわーるど

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2009.01.13
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カテゴリ:生と死
・・・今日は1月17日。
阪神大震災のあった日である。

今朝、仏前に端座し
この震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りした。

本来ならば、亡くなった方々のお名前を思い浮かべながら
回向するべきものなのかも知れないけれど
皆さまのお名前を伺うことも叶わず、ただ頭を垂れ 祈った。




朝夕の勤行の終わりには
「世界の平和と一切衆生の幸福のために」との観念文をよみ勤行を終えるけれど
・・・一切衆生とは一体どれほど多くの人々のことをいうのだろう・・と。

凡夫の哀しさ故、「世界の平和と一切衆生の幸福を」と言葉で祈ることはできても
やはり、ダイレクトに自身の心に迫ってこない。

なるほど慈悲の心溢れる人であるならば
世界の平和を 切実さをもって祈ることはできるだろう。
しかし、情けないことではあるけれど私にはそれができない。



どうしたら、もっと心から祈ることができるようになるだろうと思った。

・・・さまざま葛藤を抱えつつ考えたのだけれど
この世界に生きる人々ひとりひとりに
題目を送り続けていこう、と。
私にできることは、おそらくこれしかないのではないかと。


そう決めた翌日から 朝夕の勤行の際には
名も知らぬ、顔も知らぬ方々ではあるけれど
1遍ずつの題目を送ることに。

最初は 病院に入院なさっている人々に。
少しでも苦痛が和らぎますように。
怖さが遠のいて 安心できますように。

看病するご家族の皆さまも
どうぞ身体をこわしたりしませんように。



そうするうちに 朝夕の勤行の際に送る題目の数はたかがしれていることに気付き
それからは車を運転している時や家事をする時
可能な限り題目をあげるようにしていたのだけれど

地球上に 私たち人類は約60億。
仮に42才の私が80才まで生き続けるとして
それまであと38年間、毎日途切れることなく日に一万遍の題目をあげたとて
それでも僅か1億3000万遍。
1日も休むことなく一万遍あげ続けたとしても、である。
人類の60分の1にしかならない。

人の一生のなんと短いことだろうと思った。


42才になってようやっとこういうことを考え
実行に移したわけではあるけれど 遅い。

次にこの世に生まれてきたときには、せめて
10代のうちから出来るようになりたいと思った。






人の一生はわからない。

私も無意識のうちに
自分は80才まで、いや、できることならもっと長く生きていたいと願い
まさか40代や50代の若さで世を去るとは思ってもいない。

しかし、人の一生なんて
いつどうなるかわからないのである。



7才の時に遭った交通事故。

ダンプの下敷きになりながら
自分の一生はこれで終わってしまうのかと思った。
ここが自分の終着点なのかと思った。

あの時の恐怖、無念さは35年経った今でも鮮やかに覚えている。



できうる限り長生きしていたいと思い
そのための努力もするけれども

でも、突然、本当に突然
終着点を見せつけられるようなことがあったとしても
悔いのないように生きていたい。



そのためにも、朝は祈りから始める。
勿論、仏に縋るためではない。

信仰とは 絶対に縋るものではないと思っている。
自分はこういう風に生きていくと宣言し
仏に誓願していくものであると思う。



今は、地球上のひとりひとりに想いを馳せ
僅かに祈り続けてはいるけれども

果たして 自分や自分の家族に何か事が起こったとき
それでも、以前と全く変わらぬ心で
名も顔も知らぬ方々のために祈り続けていくことが出来るだろうか。
これもまた 凡夫である自身への問いかけである。



自身のなすべきことのために
そして家族のために長く生きていたいと思うと同時に

いつ自分の生の終着点を見せつけられても悔いのないよう、


「ラストスパートの勢いで頑張ろう」と
朝を迎えるそのたびごとに
自分に言い聞かせていきたいと思う。










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Last updated  2015.03.22 00:26:29
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