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ひよきちわーるど

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2009.07.03
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カテゴリ:思い出の人

先日、夫と、桃花さんの思い出について語り合った。
早いもので、桃花さんがお亡くなりになって5年目である。

あの日、お亡くなりになる2時間前
ご家族から「もう、時間の問題です」とのお電話をいただき
取るものも取りあえず電車に飛び乗った。

急いで病院に駆けつけたのだけれど
病室のドアを開けるのと同時に「ご臨終です」との主治医の声。




・・・・不思議なもので
彼の告別式に参列し、そのお顔を拝見しているというのに
そして斎場へ向かう車をお見送りしているというのに

この世の何処かに
彼が未だ生き続けているような気がしてならない。

時折、まかり間違って彼のブログが更新なされているのではないかと思い
お邪魔するのだけれど
2005年11月の日付でブログは終わっている。





伝えたい言葉がたくさんあった。
して差し上げたいこともたくさんあった。

クリスマスツリーを病室に飾りたいという彼の希望に
もう、10月だろうが11月だろうが
そんなの関係なしに飾ればよかった。

余計なことしちゃ駄目かな?などと
遠慮したりしなければよかった。





「どちらが先に亡くなっても、私たちはずっと友達だ」と伝えればよかった。

でも、「どちらが先に亡くなっても」という言葉を言ってよいのかと躊躇した。
桃花さんを孤独に陥らせてしまうのが怖かった。



彼のブログには「人間は所詮1人だ」という言葉が遺されている。
そんな思いを抱えていた彼に対し
「亡くなる」という言葉を遣いたくはなかった。

私たち友人が彼の病室にいる間はまだいい、
けれど、誰もいなくなった病室で
彼がどんな思いで孤独と闘っていたのだろうと思うと
・・・たまらなくなる。

せめて私たち友人は 最期の最期まで桃花さんに対し
「共に生きゆく仲間」として接するべきではないかと思い
彼と、死について多くを語ることはしなかった。





・・・・桃花さんを見送って5年目。

心残りはたくさんある。
同時に 自身の無力さを痛感している。

朝夕、仏前に座り彼のご冥福をお祈りしているけれど
生前、もっともっと彼のことを祈るべきではなかったかと
彼の回復を祈るべきではなかったかと、今更ながらに悔やまれるのだ。





・・・自身の無力さを痛感し
同時に、自分自身に対する信頼を失いつつある。

自分が嫌いになったとか、そういうのはまだ始末に終える。
ただ、自分に失望したのだ。
心の奥深く、何かが冷たく固まってしまった。


そんな状態であるが故に
昔からこの日記を読んでくださっている方からのご指摘の通り、
この日記もずいぶんと変わってしまった。

何がどう変わったのか自分でも上手く言えないのだけれど
でも、変わってしまったことは事実である。




・・・まず、物事を突き詰めて考えてしまう自身の癖が
日記の中で浮き彫りになってしまった。
良くも、悪くも。

数日に一度の頻度で書いていた「お笑い日記」が書けなくなっていた。
そういう類の文章は
自分に、余程の精神的余裕がなければ書けない。
人生や人間を肯定する気持ちがないと書けないものだと思う。

他の方々のブログにお邪魔し、コメントを残す気力が失くなってしまった。
ただ、お邪魔はしているけれど、そして文章も拝見しているのだけれど
コメントを残すだけの気力が今の自分の中に残されていないのである。

燃えさかるもの、熱いものが
自身の心の中から消えてしまった状態なのだ。


・・・自分に対する信頼の念を失くした者が
一体これから何をどうしようというのだ、という
無気力、自虐の思いが在る。





・・・・先日の夜には、そういう自身の思いを夫に伝えた。

夫に話しているうちに尚更つらくなり 涙が止まらなくなった。
そして夫なら、この心の内を理解してくれるかもしれないと思った。

夫はひとしきり私の話を聴いてくれたあと
「それでよかったんちゃうか」と話してくれた。

その時、その時で最良と思える方法をとったのなら
そしてそれが桃花さんを大切に思う気持ちから出たものならば
それでよかったのではないか、と。

「桃花さんは今でも『強くなれ』と、励ましてくれているのではないか」とも。





桃花さんと知りあったことで 私は多くのことを学ばせていただいた。

そのご恩返しに自分に出来ることを少しでも・・・と思ったのだけれど
それでも、何もすることが出来なかった。

これまで自分の生きてきた中での経験を思い起こし、想像力を総動員して
桃花さんの気持ちに寄り添うことが出来たなら・・と思ったのだけれど
それでも、出来なかった。



桃花さんは 最期のメールの中で
「あなたに逢えて本当に良かった。」と書いてくださった。

こんな、何の役にも立たなかった私に対し
おそらくは方向違いの努力ばかりしていた私に対し
桃花さんは最期まで優しかった。

・・・そんな優しさに応える術を知らなかった自分に
自分自身、失望したのである。




しかし、人間は、
こうしようと思ってはいても、思うように出来ない存在なのだと
どう努力してよいものかも分からず途方に暮れてしまうのだと、
そのことを本当の意味で分からせてもらったことに感謝したいと思う。

知り合った相手が桃花さんであったからこそ
私は何とか出来ないものかと藻掻いた。

のこされた余命を安らかなものにしていただきたいと、
そのために自分が出来ることはないかと考えを巡らせた。

その結果、自分に出来ることなど
たかが知れていることを痛感させられたのである。



・・・今、自分に対し失望している私を
もしも桃花さんがご覧になったとしたら
どんな風にお思いになることだろう。

夫は「そんなん、桃花さんは望んでないで。」と言う。





自分に出来ることなどたかが知れている、と分かったからこそ
今、この時をスタートとしなければならないのではないかと。

ちっぽけなことしかできない、
そして(おそらくは)方向違いのことをやってしまうかも知れない自分だからこそ
この現実を真摯にとらえ、努力を続けていくべきだと。

桃花さんが逝ってしまわれてから4年以上が経ち
ようやく、スタート地点に立った思いである。





年を追うにつれ
いつか私は 桃花さんの年齢を追い越してしまうだろう。

そして自分が70代、80代となった時
親子ほども年の離れてしまった桃花さんのことを
私はどのような思いで見つめることだろう。




桃花さんに出会うことにより
私は、何ひとつ出来ない自分を再発見した。

共感能力、想像力をつよくしたいと心底願った。

何も出来なかった自分に愛想が尽きた。

けれど、だからこそ、
新たに出発しなおそうと思った。






そんな未熟な私を
遠い思い出の中から
桃花さんはどんな風に見ていてくれるのだろう。




死を目前にして

あれほどまでに気高く優しかった人を

私は 生涯忘れない。











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Last updated  2015.03.21 00:32:13
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