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ひよきちわーるど

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2012.02.25
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カテゴリ:生と死

何で病気になったのかなあ・・・と思います。

原因不明、治療法なし、
再発すれば死を待つのみ。
しかも再発を防ぐための薬さえ無い。



・・・この2ヶ月、心は本当に揺れ動きました。

良性ですと言われて臨んだ手術。
けれど手術の数時間後には「悪性の可能性があります」と。

年明けての検査結果では「良性」。
夫と手を取り合って喜ぶも
再発の可能性有り、とのこと。

再発すれば生存率20パーセント。




「良性なのになんで「再発」するの?」
「再発したら余命数年って、一体どういうこと?」

心はまるでジェットコースターのようでした。


それからインターネットでいろいろと調べ続けたのですが
希望のもてる記事などほとんど無く
「予後不良」との言葉を目にするたび
独り、パソコンの前で泣いていました。 



ある日、この病気で十数年生存している患者のことを知り
喜び勇んで情報を収集。

やっぱり例外はいるんだ! 私も大丈夫かも知れないと思い
さらに検索をすすめてみると
長期生存者全員に共通していることは「卵巣原発」とのこと。

私のような虫垂原発は1人もいませんでした。

・・・やっとの思いでひとつの希望を見いだしても
すぐさまその光は閉ざされ
そのたび不安にさいなまれることに。



思ったんです。

寿命というものは与えられるものではなく 
一日、一日積み重ね、自ら勝ち取っていくべきものなのだと。

毎日が、弱い自分との闘いだと。





そして病気を受け入れるということは
病気に負けることでは決してなく、

病気になったことで
自分の人生をより輝かせていくことができると。

それを可能にするのが信仰ではないのか、と。






このやまひは仏の御はからいか

そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、

病によりて道心はをこり候なり

                    
                       妙心尼御前御返事





前日の日記にも書いたことではあるけれど
病気になって、生き方が少しずつ変わってきています。

一日一日を本当に大切にするようになりました。
信仰に対する想いも深くなりつつあります。




もしね、このまま幸運にも再発することなく年を重ねられたら 
この人生・・・どんなに豊かなものになるだろうと。


確かに 再発のことをいつもいつも考えているのは辛いです。
いつも怖れています。

けれど、それがあるがために
何事に対しても一生懸命になれる。

本気で生きていける。





そしていつしか、この病気に対し
感謝の気持ちさえ出てきていることに驚くのです。


信仰を持つ人間としてこのたび一番嬉しかったのは
病気になっても、一度たりとも法華経を疑うことがなかったこと。

信さえ揺るがずにあれば 
自分の身に起こる出来事ことごとく功徳である、と確信できたこと。




これからどうなるか、全く予測がつきません。

数ヶ月後、あるいは数年後に再発するかも知れませんし
幸運にも再発することなく 一生を終えることが出来るかも知れません。



上手く言えませんが
再発に対する怖れと 絶対に負けるものかという気持ちと
その両方をいつも持ち続けようと思います。



凡夫ですからいつも心は揺れ動きます。

それに不安など、消しても消してもわき起こってくるのですから
むしろ消し去ろうとするのではなく
さらにつよく生きてゆくための原動力にしていきたい。







・・・そんなことどもを ふと書き留めておきたくなった

静かな春の夜半。









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Last updated  2015.02.19 09:33:44
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