イタリア旅行(14)

※イタリア旅行(14) -2002.11.21- <五日目>

システィーナ礼拝堂を後にしてバスに向かう。 なか
なか興奮が冷めない。 その上、11月下旬だという
のにローマは暖かい。男性は全員ノー・コートである。
この近くには駐車できないので、かなり歩かされる。
とある教会の広場で、バスを待つ。 広場にピンクの
可愛い花が咲いていた。 日本では見かけない花
である。 早速撮影する。

5分くらい待って、バスがやっと来る。 まだ、正午
前だが早い目にレストランに向かう。 今回のツア
ーは殆ど食事が付いているので、面倒がなくて助か
る。 ランチだというのに、野菜サラダ、ヒラメのムニ
エル、そしてパスタである。 勿論パンもあるから、
ボリューム満点である。 赤ワインもボトルで出てき
た。

イタリア式に、のんびりと食事を楽しむ。 最後の
ケーキとコーヒーを飲んで外へ出たのは、既に
13:30を過ぎていた。 バスに乗り込んで、コロッ
セオへと向かう。

コロッセオ

 ”永遠の都”ローマのシンボルである。 「ローマ
 は永遠なり。 されど、コロッセオが崩れるとき
 ローマも終わる」という中世からの言い伝えが、
 それを物語る。 この古代ローマの円形競技場
 は、紀元前70年頃に建設が始まり、完成したの
 は100年以上も時を経た紀元後80年である。

 直径188m、周囲527m、高さ57mの4階建て
 である。 5万人を収容した観客席は、身分や性
 別によって区別されていたという。 

 大観衆を前にアリーナで行われていたのは、剣
 闘士同士や猛獣と人間による血なまぐさい殺し
 合いであった。 勝利者の門から、意気揚々と
 出ていくか、密かに別の門から運び出されるか
 の何れかである。 昔のこととはいえ、なんとも、
 やりきれない思いであった。

コロッセオの隣にあるのが、ローマ最大の凱旋門
である。

コンスタンティヌスの凱旋門

 コンスタンティヌス帝がテヴェレ川に架かるミル
 ヴィオ橋でマクセンティウス帝に勝利した記念に
 建てられ、紀元後315年に完成した。 このこ
 とが、キリスト教公認(313年、ミラノ勅令)につ
 ながった。

 18世紀までは、可成り傷んでいたが、以後修復
 され、現在も美しさが保たれている。 ナポレオン
 がこの凱旋門を見て、パリに凱旋門を造ったの
 は有名な話である。

システィーナ礼拝堂を後にして観光バスに向かう
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歩いて5分後、とある教会前の広場へ
  • DSCF0304.JPG


  • DSCF0318.JPG


※追加画像は下記をクリックして下さい。

広場の一隅に可愛い花が咲いていたへジャンプ


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