ロシア旅行(35)

※ロシア旅行(35)<五日目>-2004.9.30-

血の上の救世主教会を後にして、デカブリスト広場(元
老院広場)に向かう。 途中、「チャイコフスキーが死亡
した家」があり、車窓より撮影する。 大理石のプレート
には、「ピヨートル・イリッチ・チャイコフスキー、1840年
4月25日ヴォトキンスクに生まれる。1893年10月25
日この家で亡くなる」と書いてあるらしい。

チャイコフスキー

 1862年ペテルブルグ音楽院が開設されると、チャイ
 コフスキーはその1回生となって、アントン・ルービンシ
 ュテインらに師事した。 1865年に優秀な成績で音楽
 院を卒業した。 1866年1月、新しく開設されたモスク
 ワ音楽院の講師として迎えられた。

 教職と創作活動の両立は困難を伴ったが、「交響曲第
 1番(1866年)」、バレエ「白鳥の湖(1875年)」等が
 次々と発表された。

 1893年、彼にとって最後の大作となる「交響曲第6番」
 が初演となる。 しかし、この作品が舞台にかけられた
 一週間後にコレラに感染し、あっけなく亡くなってしまっ
 た。この作品は、初演後「悲愴交響曲」と名付けられた。

 彼の墓地は、他の芸術家達(ドストエフスキー、ゴーゴリ
 ー、ムソルグスキー)と共に、サンクトペテルブルグの
 アレクサンドル・ネフスキー修道院にあるという。

さて、バスは元老院広場の南側で停車する。 先ずは、
「ニコライ1世の馬上像(1859年作)」を撮影し、続いて
金色のドームが眩い「イサク聖堂」を撮影する。

イサク聖堂

 円屋根を持っている聖堂のうち、世界で3番目に大きい
 ロシア正教の聖堂である。 高さは101.5mと30階建
 てのビルに等しく、遠くからでも光輝いて見える。

 1818年に着工し、1858年に完成した。 帝政時代は、
 皇帝の礼拝所であった。 この建物の下はデルタ地帯
 で、土台が弱いため数万本の丸太が打ち込まれている
 とか。 建物の重量は30万トンもある。

 内装も素晴らしく、モザイク画・最後の晩餐が有名。

残念ながら、内部の見学は出来なかった。

路面電車・サンクトペテルブルグ(車窓より)

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劇場(車窓より)

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チャイコフスキーが死亡した家(車窓より)

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追加画像は下記をクリックして下さい

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