凸武田氏館(ひたちなか市武田)
ひたちなか市武田は甲斐武田氏発祥の地とされています。そのいきさつを簡単に記すと、平安時代末期、源義光(新羅三郎)は常陸國へ進出を狙い、長男義業を久慈郡佐竹郷(常陸太田市)、三男義清を那珂郡武田郷(ひたちなか市武田)に派遣して勢力拡大を図った。義清はこの地に居を構え、武田氏を名乗り武田冠者とも称した。義清とその子清光はなんらかのトラブルを起こし、甲斐國に配流となり巨摩郡市河荘に土着し甲斐武田氏の祖となった。ということです。日本全体がバブルで沸き立っていた平成3年、例の「ふるさと創生事業」としてこの館(資料館)が建設されたのだそうな。平安時代の武士の館を再現しておりまして、中世城館のような城郭遺構は見当たりません。館への入口。台地の縁に位置していまして、現在その台地上はすっかり住宅地になっております。こちらは玄関。玄関と主屋を結ぶ中門の張り出しが特徴的な様式は主殿造りと呼ばれているそうです。主殿内部では義清、清光親子が甲冑姿で出迎えてくれます。隣の湫尾神社には立派な「甲斐源氏発祥の地」石碑が建立されております。