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私の苗字は、”横澤”。
結構珍しい苗字らしくて、他の土地ではあまり聞かない。 いつも気になっていました。 (・_・;) 僕の一族の先祖って、どうなっているのかな? まあ、あまり有力な一族でないのは明らかなんです。 (;一_一) どうでもいいような気もするけど、調べてみました。 ● 結論:横澤一族の歴史 平安時代末期 甲斐源氏、南武氏の部下として甲斐地方(今の山梨県近辺)に住む。 南武氏に近いと考えられ、その分家が横澤氏のような気がする。 南武氏が、元々甲斐源氏ということを考えれば、横澤一族も 源氏の流れということになる。 鎌倉時代 奥州藤原氏滅亡後、南武氏が南部藩主になる。 横澤一族も、南部藩主と共に、南部藩に移住する。 以後、南部藩家老として江戸時代末期まで続く。 江戸時代末期 南部藩財政危機。 家老の横澤兵庫が財政改革に失敗。 これが、原因で一揆が起きる。 この時、南部藩の一部領民が伊達藩に移動を願い出る。 それが、幕府に認められる。 横澤一族は、この時期頃から南部藩のはずれの気仙郡に住む。 (;一_一) 多分、失敗を責められ、居づらくなったのでしょう。 現在に至る。 今でも、岩手県の住田町には、”横澤”の苗字の人が多く 住む。 ちなみに、甲斐に残った横澤一族は、その一部が忍びとなり、真田忍びの メンバーになったと考えられる。 また、西の方にも横澤一族の移住組がいる。 彼らは、呼び方が違う。 東の横澤は、”ヨコサワ”と読む。 西の横澤は、”ヨコザワ”と読む。 (;一_一) 日本語では、大した違いではありません。 でも、海外にいくと、全く別の姓になってしまいます。 ”Yokosawa”と”Yokozawa”の違いは、大きい。 (;一_一) 実際にトラブルを起こしたこともあります。 横澤一族に関係の無い方々には、興味の無い話しですみません。 でも、私としては”すっきり”しました。 私の家は、数代続く農家です。 この家老になった横澤兵庫様の直系ではないでしょう。 横澤氏の中でもかなりの下の家柄だったという気がします。 それでもいいのです。 自分の血筋が源氏の流れを汲む。 そんなことがわかっただけでも、歴史ドラマや歴史小説を読む楽しみが増えました。 \(^o^)/ 今日から、また楽しみが増えました。 参考: ”横澤”という名前が出てくる小説。 真田太平記 ・・・真田忍びの中心に ”横澤”という忍びがいる。 ”横澤”という地名 長野の松代町のあたりに、横澤地区がある。 ・岩手の歴史でわかること。 本の中に、南部藩家老 ”横澤兵庫”という人物がいる。 南部藩が、財政危機の時に財政改革に失敗した人物らしい。 (+_+) ご先祖様、なんて失態をおかされているのですか。 南部藩主の南部氏は、甲斐からきた。 奥州藤原氏が滅亡した後、南武氏が岩手県(当時の南部藩)の藩主になった。 横澤一族は、その南部氏に一緒についてきた部下だったようだ。 ● 昨日の読書 岩手県の歴史 ★★★ 岩手県人 ★★★ 東北の名族興亡史 ★★★ Sazae-san val10 ★★★ 戦国三好一族 ★★★ 赤松一族の盛衰 ★★★ ************************** ● 読書目標 12月単月目標 100冊 平成17年6月末 1000冊 昨日読書 6冊 12月累計 27冊 目標まで 73冊 総累計 498冊 目標まで 502冊 ************************* * 購入したい本があればこちらからどうぞ! 楽天ブックストップページ ************************* ● この読書を基にメルマガを発行しています。 株式・為替の初心者用メルマガです。 気楽に読んで下さい。 なぜか読者にセミプロっぽい人が多いのも特徴です。 相場生活入門 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年12月08日 08時41分23秒
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