テーマ:ささやかな幸せ(6742)
カテゴリ:大好きなひと
亡くなった祖母が寝たきりで、在宅介護をしていた時のことです。
家のことなんて全然やらない父や、遊んでばかりの私、当時まだ幼かった弟までが徐々に祖母の介護に協力的になって行きました。 祖母の病院受診の時は、二人の力がいるので、誰かが予定を合わせたり。 自宅でお風呂に入れる時は、家族全員で連係プレー。私とママが着替えとお風呂担当、パパと弟が搬送担当。 認知症で、脳梗塞で、寝たきりだけど、天井だけ見て過ごす生活はやはり切ないもの。 出来るだけラジオや音楽を流したり、食事の時はリビングに連れて来てみんなで食卓を囲んだり…。 今思えば、祖母があの状態だったから、家族が自然に団結できて、絆も深まったように思います。 祖母が、最後の力を振り絞って私たちに教えてくれたことだと。 そんな祖母が亡くなってからは、やはり家族みんなで何かする…ということは少なくなりました。 私も弟も社会人になてしまったこと、私が上京してしまったこともあるのでしょうけれど。 でも、私か帰省した時はなるべくみんな予定を合わせてくれて、外食に行ったり、家で食事をしたり…そう言う点は、祖母が残してくれた家族の絆を感じられる瞬間でした。 そして、私が今回病気になって倒れ、自分自身が身を持って、家族の絆を感じることになりました。 最初は、離れて暮らす家族に心配をかけるから…と、内緒にしていたのですが、何度も倒れてドクターストップがかかった時、これはやはり言わないわけにはいかないな…と思いました。 でも、ごくごく軽く、念のためしばらく休養するだけ、ぐらいに伝える程度にしました。 父が上京して医師からの病状説明を聞くときにも、医師に「なるべくソフトに、心配かけないように説明してください。」と念を押しておきました。 それでもやっぱり今まで健康だった私の病気は家族にとって衝撃だったようで…頻繁に電話が来たり、メールが来たりするようになりました。 何度か実家に帰ったのですが、家族の誰かが仕事を休んでくれたり、時間を遅らせてくれたり、車の後ろをフラットにして毛布を積んで、私が具合が悪くなったら寝られるようにしてくれたり…。 そんな配慮ができる家族だとは思っていなかっただけに、嬉しいやら申し訳ないやら情けないやら…で、心がいっぱいになりました。 父は、職場で長年管理職をしていたのと医師から病状説明を聞いていたので、あまり私の病気については触れず、たまに「大丈夫か?」と声をかけてくれる程度でした。 そのくらいが、私にとってはちょうど良い距離感。 あまり質問されたり、聞かれたりすると、思い出して辛くなってしまうから。 母は、父からの病状のまた聞きなので心配なようで、あれこれ聞こうとしたり、世話を焼こうとしたり、食べられない私にあれこれすすめてきたりするのですが、それをやんわりフォローしてくれたのが弟でした。 「そういう時もあるんだから、姉ちゃんのペースに任せとけよ。」とか、「今つらそうだからいいんじゃない?」とか。 社会人になって、やはりいろいろ辛さを経験してきた弟が、ここまで成長しているとは思わず、ちょっと感動しました。 私も、なるべく具合の悪さを出さないように、無理してでも食べるように頑張っていましたが、それ以上に家族が気を使ってくれているのがわかりました。 まさに、祖母の時のような連係プレー(笑) ウチの家族のことだから、話し合ってそうしたわけじゃなく、お互いが自然に自分の役割を見いだしてそっと手を差し伸べてくれていたのだと思います。 私も気を使っていたつもりだったけれど、実際はその心地よさに甘えていたのかもしれません。 祖母の時も思ったことです。 患者さんを見ていても、たまに思うことがありました。 病気はやはり辛いことですし、マイナスにとらえがちです。 でも、それによってうちの家族のように連携が取れたり、自然とお互いがお互いを思いやる精神が生まれたりすることもあります。 祖母の時・私の時のように、自然と絆が強くなってくることもあります。 もちろん、長くなってくるとお互い疲れて家族の危機になることもあるでしょう。 今回、ふと振り返って…家族の一員として、病人として、そして看護師として。 私もそこに上手く関与できる人になりたいな、と学ぶことができました。 病気って嫌だけど、悪いことばかりじゃない。 こんなプラスな面もあるんだ。 パパ、ママ、弟。 家族みんなに「ありがとう」です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 24, 2009 11:31:01 AM
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