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環境教育を本気で!

環境教育を本気で!

2024.04.05
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  95 炭酸ガスは大切です (恩田原の風83


 “恩田原の風”は、今まで、  NPO法人Global SOROBANInstituteIMそろばん)のSeminar
Report
に所収していたものを載せさせていましたが、本稿から、掲載していないものを載せさせて頂きます。今後3か月に1回ぐらい書かせていただくつもりです。よろしくお願い致します。

 今年も4月を迎えました。新学期です。“桜咲いたら一年生”ということが無いところが多くなったようです。地球温暖化・沸騰化のせいで、桜が例年通りに開花しないところが多くなってきました。


 新学期が4月ということは、慣れてきているのかもしれませんが、誠にふさわしい季節だと思っています。寒い季節が去り、桜が咲き始め、眠っていたかのような動植物が動き始める季節といえます。すぐに新緑の季節も迎えます。希望に満ち溢れたうれしい季節です。4月を新学期にしているのは、誠に妥当だと思います。


 明治時代より前の、藩校や寺子屋では、多分、新学期というものはなかったと思われます。明治5年(1872119日に明治政府は旧暦(太陰暦)を止め、新暦(太陽暦)の採用を決めました。明治5123日を明治611日と定めました。年によって違いますが、1か月近く、元旦の季節が遅くなったことになります。太陰暦ではないですから、元旦が新月の頃ということも無くなったわけです。季節への思いが変わってきたのではないでしょうか。


 明治5年(1872)に学制がひかれました。そのころの学校は、それまで通り、それほどはっきりとした新学期というものが無かったでしょう。あったとしても全国統一されたものではなかったようです。


 同じ年に、政府の色々な事情で、国家の会計年度が、それまで、7月から翌年6月であったのが、4月から翌年3月に変えられました。しかし、その後も、新学期は全国統一されたものではなかったようです。それが大正時代に国家の会計年度に合わせて、4月が新学期に統一されました。

 日本の企業の事業年度は、国家に合わせて、4月~翌年3月のところが多いようです。欧米企業の事業年度は、暦年に合わせて、1月~12月が多いようです。


 欧米の学校の多くは9月の新学期が多いようです。夏の暑さが終わりを見せ始めてから新学期ということでしょう。南半球の国々では、121月が真夏ですから、1月か2月の新学期が多いようです。それぞれの気候風土に合わせて、国ごとの新学期が設定されているようです。


 慣れているせいでしょうが、4月が新学期の方が、しっくりきます。冬の間、眠ったり死んだりしていたわけではないですが、春になると多くの動植物が、“さあ、起きよう”といった感じになるこのころに、新学期が始まるのは気分が良いものです。

 最近、国際化だということで、日本も9月を新学期にしようという声があります。国際的な大学水準を持つためには、その方が良いかもしれません。しかし、国際的水準を持つためであれば、ほかにも方法があるはずです。


 過去の多くの日本人ノーベル賞受賞の方々が言っていたように、日本は、目先の成果を期待する研究にばかりに資金がつぎ込まれ、基礎研究にあまり資金が流れていないことを改めるのも1方策です。文科省のご機嫌を伺いながらの、ひも付きの予算が多すぎます。予算の効率ばかりを考えているのです。これでは大学の国際水準は低下していくばかりです。9月入学への移行は、それらの改善がなされてから考えれば良いではないでしょうか。


 最近、世界経済フォーラムから、2023年度の男女平等度ランキングが発表されました。それによりますと日本は146か国中125位でした。2022年度の116位を大きく下回り、過去最低です。このような国際的にみて下位にあることを直すことの方が、先決です。これに限らず、国際的にみて平均以下のことが多いです。この事実にもっと目を向け、考えていくべきではないでしょうか。


 海外で学んできた人が日本の学校へ編入するのに、4月だけでは無理があるというのであれば、都合の良い時期に編入しても良いのではないでしょうか。明治時代より前の寺子屋や藩校では、新学期という考え方が無かったのですから、そう思えば、問題はないでしょう。


 しかし、近年の日本では文科省が定めたが学習指導要領に従った授業がなされなければならないことになっています。それを柔軟にできないようでは、途中編入の受け入れは困難になってきます。そこを考える必要があります。


 ここ10年以上前から、大学以上でも、年間の授業計画を事前に発表しておかなくてはならないようになりました。それに従った授業の展開が求められています。以前は、受講生の顔触れや求めを聞いてから、1年の授業内容を考えて組み立てて展開することが可能でした。まして、1年通しての授業が無くなり、半年刻みの授業になってきて、内容をゆっくり考えるということが無くなってきました。


 知識を与える授業の効率を最優先にし、授業を通じて学生さんの創造力や知恵を伸ばすことはできなくなって来たといえます。教える人の人格を、教えられる人々に、すべて転移することに全力を挙げるような授業ができなくなっています。日本の将来にとっては、嘆かわしいのではないでしょうか。


 “桜咲いたら一年生”ということは、もともと南北に長い日本ですから、全国でいえることではなかったです。しかし、それぞれの地で、そのころの気候に合った新学期を味あっていました。しかし、最近は地球温暖化・灼熱化のせいで、大きく変わって来ました。仕方がないことだと思っています。


いつも申していることですが、地球温暖化・灼熱化は、私たちが効率の良い楽な生活を享受しているから起こってきたのです。何とかしなければならない、という動きもあります。しかし、他人事だと思っている人がほとんどです。


 “効率的な生活”というものは、一切ないのです。“人間にとって効率的な生活”はあります。いろいろな事を成すとき、さまざまな資源・エネルギーを投入します。そして様々な成果が得られます。投入した資源・エネルギーの総和と、得られた成果の総和とは同じなのです。これはエネルギー保存の法則といわれているものです。


 この投入した資源・エネルギーを人間に関係したものだけで表したものでもって、効率良くできたといっているだけなのです。ほかの資源を必ず投入しているのです。地球にあるものですから、効率良いということは、地球に多くの負荷を与えているということの裏返しなのです。


 今一つ申し上げておきたいことがあります。地球上の炭酸ガスの排出を減らすことは、SDGs達成には不可欠だといっていることについてです。脱炭素社会の実現ということです。しかし、すべての生物は、炭酸ガスを出し続けながら生きています。その出された炭酸ガスを使って、植物は炭酸同化作用を行い、酸素を放出しているのです。そのおかげで動物は生き続けられるのです。


その炭酸ガスを出さない社会を創ろうというのです。それはできないことです。やってはならないことです。それをやろうというのです。


 問題は、今から何億年も前の地球にあった炭酸ガスを、地中深くから掘り出してきて、現代に排出し続けたのを、今日の地球生態系が処理しきれないから起こったのです。炭酸ガスが悪いのではないのです。ですから、地球温暖化・灼熱化を止めるために必要なのは、出した炭酸ガスが、今日の地球生態系が処理できる程度までに収めることなのです。一番確実なのは、いわゆる化石燃料を一切使わないことをはじめとして、今日の地球の循環にのせられるような資源の使い方をすることです。


 今日、この根本的なことが忘れ去られているようです。自分たちの豊かな生活を維持発展させることより、問題を冷静にしっかりと見極め、行動に移すことが肝心なのではないでしょうか。



                        荒木光(京都教育大学名誉教授)



                                 (2024.4.)



 



※ 恩田原というのは木曽御嶽山麓にある地名です。気に入った場所なので使わせてもらいました。


※ 恩田原での私のつぶやきが、心地の良い高原の風に乗って皆さんのもとに届けばという思いでもって、この拙文に“恩田原の風”と名付けました。


 ※ “環境教育を本気で”と“恩田原の風”を読まれて、何かご意見ご感想があれば、是非ともお聞かせくださいますよう、お願い申し上げます。


※ arakihikaru2010yahoo.co.jp(☆を@マークに変えて頂きますようお願いします。)でお待ちいたしております。


※ 多少とも気にいって下さいましたら、この“楽天ブログ 環境教育を本気で”


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最終更新日  2024.04.05 05:37:04


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