ゴル2001の兄貴(その2) 奇跡への階段 究極の受け止め
中学卒業と同時に当時漁師としては一角千金であった、北洋という漁業団の船に乗って、兄貴は過酷な人生を歩む事になりました。そんな受け止めの気持ちの持主の凄い兄貴だからこそ、中学卒業して漁師しかした事がなかったのに35歳になって突然海外に渡って、今は中国で、1200人の従業員を指示運営する責任者の仕事をしているのだと思います。私はそんな長男であるためだけに、大好きな野球を天秤にかけてまで私たち兄弟のために自分の人生を捧げて来てくれた兄貴が誇りです。こんな凄い兄貴がいつも自分の人生のバックに居るのも、自分の人生の大きな支えになっています。私の楽しく頑張りたい気持ちの根源の一部分の記憶の部分でもあると私は思っています。その当時の残酷なおじいさんの判断から、おじいさんはなんて奴と思う方が多いと思います。でも私の知っているおじいさんはとても優しくて思いやりがあってとてもいいおじいさんなのです。兄貴も野球でそんな事があったのに、おじいさんの面倒を何の恨みもなく優しく見てあげていたのです。たぶん、野球が究極にうまかったのも、自分の野球の限界を見れなかったのも兄貴の人生の大きなハードルだったのだと思います。そんな大きなハードルも、兄貴の大きな受け止めの気持ちがあったからこそ家族みんなが前を向いて来られたのだと思います。家族の中に誰か絶対に縁の下の力持ちが居るものと私は思います。その方の受け止め次第で、家族全体が幸せにも不幸せにもなるものと私は思います。私は兄貴のそんな究極の人生の選択の事実を知って居ましたので、私も縁の下の力持ちを積極的に喜んで演じてきました。兄貴のに比べたら、なんちゃって縁の下(サブ)的なイメージしか在りませんが、そんなイメージを持つことが、家族一人一人の力に繋がるものと思います。私ごとの思いでですが、何かヒントになれば幸いです。ここをクリックしてくださいねにほんブログ村にほんブログ村 スピリチュアル・精神世界