中学生がハン流爆弾を 奇跡への階段 最終話
それから2,3日しての事です。ガス屋の先輩の家は私の家のななめ向かいにあります。夜中にトイレに起きた私は、窓の外が赤く染まるのを見ました。当時街頭がほとんどない村だったので、何の明かりだと思って、外をのぞいて見ると、パトカーやら消防車やら、自衛隊の完全防備の車やらが来ていて、何やら慎重に持っているではありませんか。あれはナイスタリナイが空に向かって投げた、みんなで火にいれた・・・物では?私はガス屋の先輩が、現行犯逮捕されたと勝手に解釈して、布団に逃げるようにもぐりました。私も逮捕?なんてビビってました。次の日の朝に、2キロほど離れた隣町の中学校まで歩いて行く途中、ガス屋の先輩が、居たので、あれ、捕まったんじゃなかったの?と聞くと、落ち込んだ表情で、兄貴にこっぴどく叱られたよ。話の内容は、ガス屋の先輩と兄貴の部屋は同じ部屋で、あの物体を、誇らしげに兄貴に見せようと思って、兄貴の机の上に飾っていたらしいのです。兄貴が夜、仕事から帰ってきて、煙草に火をつけ机に向っていると目の前にスク流付きのハン流物体があるではありませんか、ガス屋の先輩が言うには、いつもは寡黙な兄貴が、なんじゃこりぁーと松田勇作チックに、びっくりして、大声をあげて、煙草を灰皿じゃなく、机で消してしまったとのことでした。それで、慌てて110番通報・・・・私が布団の中に隠れた結果となったわけです。やっぱりあれは爆弾だったんです。後日、爆弾処理をしたところ半径50メートルのものは吹っ飛んじゃったそうです。クワバタ・・クワバタ・・・間違い(^^ゞ クワバラです。話はまだ続き、翌週になってからの事です。急に全校集会になりました。校長先生がいきなりガス屋の先輩の名前を、少し怒ったような口ぶりで呼びました。当時、ワルまでは行かなかったがズルで有名だったガス屋の先輩に、みんなは校長先生に叱られる物と思い、ガス屋、また、やっちまったなーと(クールポコ風に、男は黙って爆弾かつぎ。)冷やかしの声援が送られました。すると、校長先生は、ガス屋の先輩に向かって、君は凄いことをした。警視総監が君の事を誉めていたよ。私も数十年教師生活をしているが、こんなに嬉しい事はないよ。ありがとうと言って嬉しそうに警視総監章を読み始めました。私は、私が最初に見つけたのになーとちょっぴり思いましたが、焚き火から勇気を持って爆弾を取って来てくれた、ガス屋の先輩がヒーローでした。本当に今、考えると危ない思い出です。今ここに居るのもある意味奇跡かも知れません。でも先祖様にその事を聞くと、守られているから。とのみの返答です。本当にあった深い話だと自分では思っています。ちなみにナイスタフガイの先輩は高校卒業と同時に、自衛隊に入りました。あの爆弾を爆発させたい未練があったのでしょうか?夢を叶えるために自衛隊に・・・・本当ところは、ガタイが良くて、勉強が反比例だったから自分を生かせる道だったようです。高校の時、大阪城を建てたのは誰の歴史のテストで・・・大工と答え○をもらい学校帰りに、隣リ町の祭りで飲み過ぎて、20時の終バスに乗ったはずなのに行方が解らなくなり、翌日、私が通学で、バス停に行くと、顔が蚊に刺され、ボコボコに腫れあがった顔をした先輩が寝ていて、先輩、母親が探してたけど、どこ行ってたの?と聞くと、目が早く覚めたから。早く来ちゃった。って不気味な笑顔をみせた、ナイスタフガイの先輩。今頃は、北の大地のどっかで、氷点下20度の極寒の演習で、ガリガリに固まったソーセージをかじっていると思います。先輩、がんば!!