ロンドン「女子マラソン」・・出場選手のプロフィール
ロンドン・オリンピック「女子マラソン」は、もうすぐスタート! ロンドン時間8月5日(日曜日)午前11時スタート 日本時間 8月5日(日曜日)午後7時スタート ロンドン市内を3周するコースで行われる。 当日の天気予報は気温20度前後で曇り時々雨。 涼しい天候らしい!? 出場予定選手は118人 有望選手は・・・ ●メアリー・ケイタニー(ケニア) 4月・ロンドンを世界歴代3位の2時間18分37秒で制した ●リリア・ジョブ・ボア(ロシア)ベストタイム2時間18分20秒 ●王雪芹(中国)21歳 ・・・自己ベストが2時間20分を切る選手は7人も・・・ 日本選手は・・・ 重友梨佐(天満屋)24歳 身長157cm 体重46Kg 木崎良子(ダイハツ)27歳 身長157cm 体重46kg 尾崎好美(第一生命)31歳 身長154cm 体重41kg 日本女子3選手が・・・いずれも「初出場」する。 3選手のプロフィール ●重友 梨佐● しげとも りさ 1987年8月29日 生まれ 身長157cm 体重46Kg 日本の陸上競技選手。専門種目は長距離走。 1987年8月29日、岡山県備前市出身。小学校3年生時に陸上競技を始める。備前市立備前中学校から興譲館高等学校卒業。 高校時代は森政芳寿の指導を受ける。2年生時に第16回全国高等学校駅伝競走大会(2004年)に初出場し、2区を走って区間7位。新谷仁美(1区)から先頭でタスキを受けた重友は首位を守ったものの、チームはアンカーで逆転されて2位に終わる。3年生時にチームの主将を任されて第17回全国高等学校駅伝競走大会(2005年)に優勝[2]。前年に続いて2区に登場した重友は、再び新谷から先頭でタスキを受け、区間2位の好走で優勝に貢献した。高校卒業後に天満屋に入社。 天満屋入社後は先輩の坂本直子(アテネオリンピック7位)、中村友梨香(北京オリンピック13位)らに混じって走り、地道に実力をつける。全日本実業団対抗女子駅伝競走大会では第30回・第31回と5区を走り2年連続区間賞を獲得[2]。特に第30回大会では天満屋チームの初優勝にも貢献した。 初マラソンは当初2011年3月13日の名古屋国際女子マラソンを予定していたが、大会前々日に発生した東北地方太平洋沖地震により大会が急遽中止に。1か月後、2011年4月のロンドンマラソンにスライド出場して初マラソンに挑んだが、調整失敗もあり2時間31分28秒で24位と不本意な結果となった。 2回目のマラソンとなった2012年1月29日の第31回大阪国際女子マラソンでは国内招待選手として出場。レース中盤まで福士加代子と並走していたが、27km手前で福士を振り切ってからは独走態勢となり、その後も大きく崩れる事無く2時間23分23秒(日本女子マラソン歴代9位)の好タイムでマラソン初優勝を果たし、ロンドン五輪日本代表へ初選出された。 ●木崎 良子● きざき りょうこ 1985年6月21日 生まれ 身長157cm 体重46kg 日本の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。ダイハツ工業所属。 1985年6月21日、京都府与謝郡与謝野町出身。京都府立宮津高等学校から佛教大学社会福祉学部社会福祉学科卒業。 佛教大学在学中の2007年、タイ王国のバンコクで開催された夏季ユニバーシアード大会に日本代表選手として出場し、陸上競技女子10,000mにて2位(32分55秒11)となっている。 大学では、1年次(2004年)から駅伝大会のレギュラーメンバーに入り、特に4年次(2007年)の全日本大学女子選抜駅伝競走大会では1区を走り区間賞を獲得してチームの準優勝に寄与した。 2008年4月にダイハツに入社し、国内企画部に勤務する一方で同社陸上競技部で選手として活動。2010年の日本陸上競技選手権大会では女子10,000mで2位、全日本実業団対抗陸上競技選手権大会では女子10,000mで優勝するなど、地道に実績を積み上げた。同年11月のアジア競技大会女子5,000m日本代表に選出され8位。 フルマラソンは2010年1月31日の大阪国際女子マラソンが初マラソンだったが、23Km付近から先頭集団から遅れ2時間27分台の6位に留まった。2度目のマラソンは2011年1月30日の大阪国際女子マラソンに2年連続で出場したが、30Kmを過ぎて再び失速し5位に終わった。 2011年11月20日、2012年8月開催のロンドンオリンピック女子マラソンの国内選考レースとなる、第3回横浜国際女子マラソンでは、3度目のマラソンながらも自ら進退を掛けるレースとして出場。気温20度を超える高温の中、2009年世界陸上ベルリン大会女子マラソン銀メダリスト・前回の第2回横浜国際女子マラソン(2011年2月20日開催)で優勝し同大会2連覇を狙った尾崎好美と、レース終盤までデッドヒートを繰り広げた。ゴール残り2Km辺りで先に尾崎がスパートを仕掛け一旦差が開いたが、そこから木崎は徐々に追い上げ、41Km地点を過ぎると木崎が尾崎を追い抜いて逆転。2時間26分32秒の自己ベスト記録をマーク、マラソン初優勝を果たし、ロンドン五輪の有力候補に名乗りを挙げた。 それから約4か月が過ぎた翌2012年3月12日、念願のロンドン五輪女子マラソン日本代表に選出された。 ●尾崎 好美● おざき よしみ 1981年7月1日 生まれ 身長154cm 体重41kg 日本の女子陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。 神奈川県足柄上郡山北町出身。実姉の尾崎朱美(現姓・石毛)も陸上競技元選手で、資生堂~セカンドウィンドAC(SWAC)に所属し、その後SWACスタッフ・一般市民ランナーでも活動したが、出産後は専業主婦となる。 山北町立山北中学校在学時は陸上部には所属せず、バスケットボール部に所属。大会が行われるごとに常設の陸上部と、他の運動部等から選抜された部員で結成する特設陸上部に、好美も選抜はされるものの、肝心の大会メンバーに選ばれないこともあり、目立った活躍はなかった。私立相洋高等学校卒業後、2000年に第一生命保険相互会社入社、陸上競技部へ入部。 入社後は、主にトラック競技・駅伝に出場。東京で行われた1991世界陸上女子マラソンで銀メダルを獲得し引退後第一生命陸上部に招聘され監督となった山下佐知子の指導を受け、堅実に実力アップを図る。しかしフルマラソン出場までは、その後長い年月を要した。 マラソン歴 姉に遅れること2年、ようやく山下監督の許しを得て、2008年3月9日の第29回名古屋国際女子マラソンに一般参加で出場。優勝して北京オリンピック代表となる中村友梨香(天満屋)には、32Km過ぎからのロングスパートについていけず28秒差で届かなかったが、初マラソンながらも2位と健闘した。 同年11月16日、最後の開催となった第30回東京国際女子マラソンで2度目のマラソン挑戦。終盤の38 km手前で当時姉と同じチームメイトだった加納由理(現・資生堂)をかわし、38.4 km地点で先頭を走っていた渋井陽子(三井住友海上火災保険)を追い抜き逆転、自己ベスト記録でマラソン初優勝を果たす。これにより、2009年世界陸上選手権(ドイツ・ベルリン)の女子マラソン日本代表に即内定で初選出された。 2009年8月23日に行われた世界陸上ベルリン大会の女子マラソン本番レースでは、他の代表選手とともに終始先頭集団に加わり、後半のペースアップにも果敢についていった。35 km過ぎの給水地点で給水ボトルを取り損ねるものの、この大会男子3000メートル障害代表で給水スタッフを務めていた岩水嘉孝(富士通)が、落としたボトルを拾い猛ダッシュして手渡すというシーンもあった。38 km辺りで一度は先頭に立ち尾崎自らスパートを仕掛けたが、優勝した白雪(中国)らに食いつかれ、40 km地点からは2人のデッドヒートが続いた。最後の41 km付近で白雪のスパートに引き離され、10秒差で惜しくも2位となったが、日本における世界陸上女子マラソン史上で合計10個目(金2・銀5・銅3)のメダルとなる銀メダルを獲得した。また女子マラソン団体戦でも、日本代表として銀メダルを獲得した。 2010年4月25日、エイヤフィヤトラヨークトルの噴火(アイスランド)の影響により、一時開催も危ぶまれていたロンドンマラソンに出走。だが調整ミスもあってか、レース中盤で先頭集団についていけず優勝争いから脱落、結局13位に留まった。 2011年2月20日、第2回横浜国際女子マラソンに出場。レースでは終始先頭集団を走り、39km付近からスパートをかけてペースを上げて後続を振り切ると、自身2番目の記録でマラソン2回目の優勝を果たす。これにより、2011年世界陸上選手権(韓国・大邱)の女子マラソン日本代表に、世界陸上選手権に二大会連続で即内定で選出された。 2011年8月27日、世界陸上大邱大会の女子マラソン本番レースでは、世界陸上連続メダル獲得の期待が掛かっていた。しかし、32Km過ぎからのケニア・エチオピア勢の急激なペースアップに全く対処出来ないまま後退。完走はしたものの、日本女子では赤羽有紀子(ホクレン・5位入賞)・中里麗美(ダイハツ・10位)に次ぐ3番手の18位、タイム・順位共に自己ワーストの結末に終わった。また女子マラソン団体戦でも日本代表は、1997年の世界陸上アテネ大会で採用されて以降、初めて表彰台を逃してしまう結果となった。 2011年11月20日、第3回横浜国際女子マラソンへ同大会2連覇と、ロンドンオリンピック代表選出を目指して出場。気温22度の高温下のレースとなるが、前回大会同様に先頭付近をひた走り、40km過ぎには一旦自ら飛び出す作戦に出た。しかしその後失速、残り1Kmを過ぎてから優勝した木崎良子(ダイハツ)に逆転されてしまい、17秒差の2位と敗れた。 2011年12月18日、宮城県で初開催の全日本実業団対抗女子駅伝競走大会では1区を担当し区間賞を獲得、第一生命チームの総合優勝(2002年以来9年ぶり2回目)に貢献。レース後、翌2012年3月11日開催予定の名古屋ウィメンズマラソンでロンドン五輪代表入りに再挑戦する意向を表明した。 その名古屋ウィメンズマラソンでは終始先頭集団に加わったが、35Km過ぎに後方から追い上げ優勝したアルビナ・マヨロワ(ロシア)に食らいつくも、37Km手前でマヨロワのロングスパートにはついていけなかった。その後は中里麗美との日本人争いのデッドヒートを繰り広げたが、ゴール迄残り700m地点で満を持した尾崎が中里をようやく振り切って、日本女子トップの2位でフィニッシュ。その翌日の3月12日、同年7月より行われるロンドン五輪女子マラソン日本代表選手に、最後の3番目で初選出された。 今回のキーワードは・・・「チームジャパン」だそうで!早いケニア人達に対抗するために 3選手が協力しあってロンドンの曲がりくねったコースをスイスイ走り抜けたら・・・良いですねマラソンにぽちっと・・・よろしく