1693122 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【ログイン】

「きらりの旅日記」

PR

カレンダー

楽天プロフィール

設定されていません

き ら り の 旅 日 記  PART=3


【ポーランド旅日記】クリック【イラン旅日記】クリック 【エジプト旅日記】クリック
【ポーランド旅日記】.jpg 【イラン旅日記】.jpg 【エジプト旅日記】.jpg


【チェズ旅日記】クリック【グアム旅日記】クリック【リトアニア旅日記前編】クリック     
【チェズ旅日記】.jpg 【グアム旅日記】.jpg 【リトアニア旅日記・前編】.jpg


【リトアニア旅日記後編】クリック【ラトヴィア旅日記】クリック【エストニア旅日記】クリック
【リトアニア旅日記・後編】.jpg 【ラトヴィア旅日記】.jpg 【エストニア旅日記】.jpg


【モロッコ旅日記】クリック【インド旅日記】クリック【ネパール旅日記前編】クリック
【モロッコ旅日記】.jpg 【インド旅日記】.jpg 【ネパール旅日記】.jpg

【タイ旅日記】         【メキシコ旅日記】クリック【ベトナム旅日記】
タイ・小.jpg 小・メキシコ.jpg 小・ハロン湾.jpg

【カンボジア旅日記】   【南アフリカ旅日記】クリック【ジンバブエ旅日記】クリック       
カンボジアの旅・小.jpg  喜望峰・小.jpg ボツワナの踊り・小.jpg

【ボツワナ旅日記】クリック 【韓国ソウル~釜山旅日記】  【ロシア旅日記】クリック
ボツワナ旅日記.jpg  韓国旅日記.jpg ロシア旅日記.jpg

【香港旅日記】クリック【マカオ旅日記】クリック 【インドネシア旅日記】クリック
香港・小.jpg マカオ・小.jpg 【インドネシア旅日記】.jpg

【ニュージーランド旅日記】クリック【マレーシア旅日記】クリック【スロベニア旅日記】クリック
CIMG0731.jpg CIMG1643.jpg CIMG2332.jpg

【クロアチア旅日記】クリック【ボスニアヘルツェゴビナ旅日記】クリック【モンテネグロ旅日記】クリック
クロアチア.jpg ボスニアヘルツゴビナ.jpg モンテネグロ.jpg

【ペルー旅日記】クリック【アルゼンチン旅日記】クリック【ブラジル旅日記】クリック
 【ペルー旅日記】.jpg 【アルゼンチン旅日記】.jpg 【ブラジル旅日記】.jpg


旅の足跡を・・・たどってみました(^-^)♪

19××年 日本

2000年 フランス・イギリス・オーストリア・チェコ・ハンガリー
 
2001年 イタリア・バチカン  

2002年 スペイン・トルコ

2003年 中国・ギリシャ  

2004年 デンマーク・フィンランド・スウェーデン・ノルウェー・台湾・オランダ・ベルギー  
      
2005年 ポルトガル・韓国・ポーランド

2006年 イラン・エジプト・グアム・リトアニア・ラトヴィア・エストニア・モロッコ

2007年 インド・ネパール・タイ・メキシコ

2008年 ベトナム・カンボジア・南アフリカ・ジンバブエ・ボツワナ・韓国・ロシア 

2009年 中国・インドネシア

2010年 ニュージーランド・マレーシア・モンテネグロ・クロアチア・ボスニアヘルツゴビナ・スロベニア 

2011年 ペルー・アルゼンチン・ブラジル 
       
2012年 フランス・アメリカ・カナダ・オーストラリア・ベトナム

2013年 イギリス・ドイツ・フィリピン

2014年 スイス・フランス・シンガポール

2015年 韓国・アメリカ(ボストン・ニューヨーク・フィラデルフィア・ワシントン)

2016年 フィンランド アイスランド アメリカNY 韓国ソウル スペイン・マドリッド

2017年 太平洋フランス領ポリネシア(タヒチ)チリ(イースター島)韓国

・・・以上59カ国を訪問しましたョ☆

        
☆旅日記は、2006年1月22日からはじめて11周年となりました☆


「にほんブログ村」ブログ・ランキング【世界遺産】に参加していますよろしければ


                      ポチっとよろしく→にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ
2017.09.26
XML
テーマ:ローマ
ローマのコロッセオの隣にある「凱旋門」は、ローマでは最大なのだとか・・・前回に訪れた時は、彫刻まで見て居なかった気が・・・それに↓こんな柵があったでしょうか?もう一度調べてみましょう♪


コンスタンティヌスの凱旋門 Arco di Costantino・・・とは?


コンスタンティヌスの凱旋門

ラテン語=Arcus Constantini

イタリア語=Arco di Costantino

イタリアの首都ローマにある古代ローマ時代の凱旋門で、

ローマ建築の代表的なものである。

フラウィウス円形闘技場(コロッセオ)とパラティウムの丘、

フォルム・ロマヌムの間に位置している。

西の副帝であったコンスタンティヌスが、

ミルウィウス橋の戦いで正帝マクセンティウスに勝利し、

西ローマの唯一の皇帝となった事を記念し建てられた。

フランスのパリに建設されたエトワール凱旋門のモデルにもなっている。




【歴史】

後にローマ帝国唯一の皇帝となるコンスタンティヌスは、

当時西ローマの副帝の地位にあったが、

サクサ・ルブラで正帝マクセンティウスの軍団を撃破し、

312年10月28日に、

ミルウィウス(現ミルヴィオ)においてマクセンティウスを河畔に追いつめ、

溺死させることに成功した(ミルウィウス橋の戦い)。

コンスタンティヌスは、ローマに入城すると、

フォルム・ロマヌム(現フォロ・ロマーノ)のロストラに立って凱旋演説を行い、

フォルム・ユリウム(現フォロ・ジュリアーノ)にて市民に賜金を施した。

コンスタンティヌスの凱旋門は、

このコンスタンティヌス帝の在位10年目にあたる

312年の勝利を記念して造られたものである。

奉献式典は315年に行われた。

ただし、この凱旋門には、

コンスタンティヌスの時代から遡ること200年前の建築物の装飾が用いられているため、

近年、この凱旋門は

実は2世紀頃に建設されたものであり、

コンスタンティヌスは、これを改変しただけであるとする説も提唱されている。

1960年のローマオリンピックでは、マラソン競技のゴール地点に選ばれた。


【構造】

高さ21m、幅25.7m、

奥行き約7.4m。3つの門を有し、

中央の門が高さ約11m、

幅約6.5m、

左右の門が高さ約7m、

幅3mであり、

ローマにある凱旋門では最大である。

構成は、フォルム・ロマヌムにあるセプティミウス・セウェルスの凱旋門のものを踏襲している。

基礎と下部構造は

石灰華、最上部は煉瓦(外装は大理石)、

円柱は

黄色大理石、それ以外は白大理石から構成される。

装飾は古い建築物からの転用材で、

南北面の円形浮き彫りは

ハドリアヌス帝の時代の建築物から、

最上層(アティック)の8枚のパネルは

176年に建設されたマルクス・アウレリウス・アントニヌスの凱旋門からはぎ取られたものである。

やはり最上層にある8体の彫像と南北面のパネル、

中央の門の両側にあるパネルは、

トラヤヌス帝が建設したトラヤヌスのフォルムからの転用材である。

8本の黄色大理石の円柱も、

由来不明だが、

どこかの建物からもたらされたものと考えられている。

これら以外の彫刻は、コンスタンティヌスの時代のものである。 

各部浮彫の製作時代

濃緑 Trajan トラヤヌス帝時代の浮彫

黄色 Hadrian ハドリアヌス帝時代の浮彫

水色 Marcus Aurelius マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝時代の浮彫

橙色 Constantine コンスタンティヌス帝時代の浮彫


【マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝時代の浮彫】

凱旋門両正面の左右の小さな通路の上のフリーズ部分に掲げられている4対8枚の浮彫は、

マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝(在位 161年 - 180年)に

献じられた未知のモニュメントから移設されたもので、

マルコマンニ戦争(162年 - 180年)の場面を描いたものである。

凱旋門北側面の左側の浮彫は、

皇帝のアドヴェントス(凱旋)とフラミニア街道で祝福される

プロフェクティオ(出撃)の光景を描いたもの。

北側面の右側の浮彫は、

ラルギティオ(勝利の報奨金)を配る皇帝と椅子に座り

敗者のゲルマン人代表に引見しクレメンティア(寛容性)を示す皇帝の姿を描いたもの。

凱旋門南側面の左側の浮彫は、

南側面の右の浮彫からの続きで、

皇帝が敗者のゲルマン人代表に引見する姿や捕虜を見分する姿を描いたもの。

南側面の右側の浮彫は、演説(Adlocutio)する皇帝の姿と、

豚を犠牲に捧げる儀式ルストラリオを描いたものである。

マルコマンニ戦争遂行中にマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝が病没したため、

後を引き継ぎローマ側に有利な講和条件を得た

マルクス・アウレリウス帝の息子である

コンモドゥス帝(在位 180年 - 192年)の姿も描かれていたはずであるが、

コンモドゥス帝がダムナティオ・メモリアエ(記憶の破壊措置)を受けたため

削り取られてしまったと考えられている。


北側面 左 ・・・凱旋・出撃の場面 



北側面 右 ・・・褒章・寛容の場面 



南側面 左 ・・・寛容の場面 



南側面 右・・・ 演説・犠牲の場面 



【トラヤヌス帝時代の浮彫】

凱旋門の両側面のフリーズ部分および

中央通路側面に掲げられている4枚の浮彫は、

トラヤヌス帝のダキア戦争(101年 - 106年)の場面を描いたもので、

トラヤヌスのフォルムまたはカエリウスの丘にあった

皇帝の厩舎から移設されたと考えられている。

この浮彫は縦3m、横30mの1枚のものであったが、

凱旋門に取り付けるにあたって4分割されている。


西側面 



東側面 



中央通路 西側面 



中央通路 東側面 



【 ハドリアヌス帝時代の浮彫】

凱旋門両正面の左右の小さな通路の上にある

2枚1組の円形の浮彫(直径2.4m[1], 両正面で合計8枚)は、

ハドリアヌス帝(在位 117年 - 138年)時代のものである。

北正面の左の2枚は

豚狩りとアポロ神への犠牲の場面を、

右の2枚は

ライオン狩りとヘラクレス神への犠牲の場面。

南正面の左の2枚は

狩りへの出発とシルヴァヌス神への犠牲の場面を、

右の2枚は

熊狩りとディアーナ神への犠牲の場面を描いている。

この浮彫が造られた時には

ハドリアヌス帝が描かれていたはずであるが、

一部分はコンスタンティヌス帝やリキニウス帝(在位 308年 - 324年)、

コンスタンティウス・クロルスのものに入れ替えられている。


北正面の左側 ・・・豚狩り・アポロ神犠牲 



北正面の右側 ・・・ライオン狩り・ヘラクレス神犠牲 



南正面の左側 ・・・出陣・シルヴァヌス神犠牲 



南正面の右側 ・・・熊狩り・ディアーナ神犠牲



【碑文】

凱旋門の両側の碑文は同一である。

IMP(eratori) CAES(ari) FL(avio) CONSTANTINO MAXIMO / P(io) F(elici) AUGUSTO S(enatus) P(opulus)Q(ue) R(omanus) / QUOD INSTINCTU DIVINITATIS MENTIS / MAGNITUDINE CUM EXERCITU SUO / TAM DE TYRANNO QUAM DE OMNI EIUS / FACTIONE UNO TEMPORE IUSTIS / REM PUBLICAM ULTUS EST ARMIS / ARCUM TRIUMPHIS INSIGNEM DICAVIT


(日本語意訳)

インペラトル・カエサル・フラウィウス・コンスタンティヌス(=コンスタンティヌス1世)

偉大で / 敬虔、幸運なるアウグストゥスに対し元老院と ローマの人民(SPQR)(が奉献する) /

神聖な導きと / 卓越した精神で /  暴君やそれら一味から / 一斉に開放した /

正当な軍事力を用いて(勝利した) / 装飾した凱旋門(を奉献した)

おとめ座ROMA旅にオーケーぽち右矢印にほんブログ村 旅行ブログ 世界遺産へ






最終更新日  2017.09.26 00:00:06
コメント(0) | コメントを書く

Copyright (c) 1997-2017 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.