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70年前の今日三月九日深夜から、テニヤン島から飛び立った敵B29爆撃機が、38万1300発、1783トンの油脂収束焼夷弾を、木造家屋の多い下町に投下しました。 一発の焼夷弾が300発に枝別れし、またそれが枝別れして、逃げ回る都民の上に降り注ぎました。 一旦、油が衣服につくと、粘着性があるため、ふり払っても取れないといわれています。 誘導爆撃機が、着弾制度の高い収束誘導焼夷弾E46を、中心点に投下、本隊爆撃機が、油脂焼夷弾を、中心点を囲むように、四方から投下して、逃げ回る都民の逃げ道を塞(ふさ)ぎました。 3月10日が日本の陸軍記念日であるからと言われています。 深川区(現在の江東区)、本所区(現在の墨田区)、浅草区(現在の台東区)、日本橋区(現在の中央区)の被害が多く、 一夜にして、10万人以上が焼き殺されました。 特に、深川区は壊滅しました。 人類に対する世紀の大虐殺です。 当時、都市住民は、疎開できない老人と女と幼児だけで、国民学校生は集団疎開か縁故疎開していました。 ところが、国民学校六年生は卒業式に参加するため、帰宅していて、焼き殺された児童が多かったようです。 最近分かったことは、1歳から4歳くらいの幼児の死亡が多いそうです。 この爆撃の総指揮官ルメイが、戦後、自衛隊創建に尽くしたと、ノーベル平和賞貰った佐藤栄作首相(安倍首相の叔父)から勲章を貰っています。 YouTubeから東京大空襲を転載しました。 70年前の三月 10日 334機の敵B29爆撃機東京の下町大空襲 12日 硫黄島の敵、本土空襲用の滑走路完成
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Last updated
2015.03.09 21:02:44
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