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岩手出身の石川啄木は「ふるさとの 訛りなつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにいく」と、望郷の思いをうたっています。その停車場とは、上野駅のことです。
昭和30年代は日本の高度成長期でした。東海道新幹線の開通、東京オリンピックなど、日本が繁栄していくこの頃の、労働力の源となったのが、東北の中学を卒業したばかりの子供たちでした。田舎から集団就職で上京し、「金の卵」ともてはやされました。 当時、上野は東北から上京する人々の玄関口であり、集団就職、出稼ぎの玄関口でした。 親元から離れ、頑張っている集団就職の子供たちは、寂しい時、辛いとき、向かったのが上野駅だった、と聞いています。屋根に雪を載せた列車をみて、涙をぬぐったそうです。
井沢八郎の「あぁ 上野駅」は、昭和39年、東北出身者を中心に、多くの人々に愛されました。
かつて、集団就職で上京し、現在東京に住んでいる人を中心に、寄付が集まり、「あぁ 上野駅」の歌碑が建立されました。上野駅中央改札をまっすぐ出たところ、広小路口にそれはあります。一度ご覧下さい。
「あぁ 上野駅」 1・どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ 上野はおいらの心の駅だ くじけちゃならない人生が あの日ここから始まった
2・就職列車にゆられてついた 遠いあの夜を思い出す 上野はおいらの心の駅だ 配達帰りの自転車を 止めて聞いてる国訛り
3・ホームの時計を見つめていたら 母の笑顔になってきた 上野はおいらの心の駅だ お店の仕事はつらいけど 胸にゃでっかい夢がある
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最終更新日
2007年10月09日 18時03分26秒
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