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カテゴリ:田舎
今でも覚えている。名古屋へ転勤した年の「お盆」。
「さあ、田舎へ行くぞ」と言って皆で出発、名古屋インターから春日井方向へ入った途端。 子供達からのブーイング。子供達にとっての「田舎」とは、町田であり、渋谷であり、千歳船橋であった訳。 そうだ、人の田舎とは、生まれ育った場所と言うことに気がついた。因みに妻の田舎とは田町、お墓は五反田だ。 先日、上京した折に妻や妻の弟達には内緒で田町へ足を伸ばして見た。 国道一号線と日比谷通りが合流する交差点。日比谷通りの奥、左は日本電気の三田工場だったが、今では高層オフィスビルに様変わり。 港区勤労福祉会館の建物がいかにも古い。 この様なビル街にも未だ人の生活が残っている。路地を入れば典型的な下町風景だ。 日本電気の対面には、東京女子学園。校舎は新しいが場所は昔のままだ。 そして、戸板女子短大。 かって此処に工場があったとは、想像できない。 東京の変貌ぶりは凄まじい勢いですね。 話は変わりますが、私たちのOB会は「会員」の高齢化に伴い今年の第25回を最後に解散となりました。虎ノ門の三友ビルも、琴平会館ビルも今はありません。 それより古い「銀座交じゅん社ビル」が今尚健在と言うのに。 それから、びっくりさせられたのは、銀座線に「溜池山王」と言う駅が出現していたことです。車内アナウンスがあったとき、思わず行き先の違う電車に乗ったのか、思いましたよ。 蕎麦を食べたくて、虎ノ門の「更級」を訪ねたのですが、此処もとっくの昔に廃業したとか、がっかりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年01月20日 18時00分14秒
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