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カテゴリ:ショートストーリー
ひさしぶり
「これこれ・・・」 亜希子は、朝から走り回る孫たちを笑顔でたしなめた。 「お婆ちゃん、新聞」 ポンと孫が放り投げてよこした新聞の一面に、懐かしい人の死亡記事を見つけ た。 日本ばかりか海外でも認められた作家の彼との想い出は、もう半世紀以上 も昔に溯ることになる・・・ 直之と亜希子は、幼なじみだった。 村一番の秀才と評判の直之は、歩きながらも本を読んでいた。 村の口の悪い連中は、かつての農政家二宮尊徳の幼名二宮金次郎にちなんで 「やい、ニノキン」 と、からかわれていた。 しかしながら、そんなことを少しも気に留めない直之 は、ポーカーフェイスで通り過ぎて行く。 そんな男だった。 直之が、東京の大学を出て、官吏登用試験に合格し村に帰って来たときには、 もう誰もが 「10年後の村長は、直之だな・・・いやあ、国会議員かもよ」 と、彼の将来を疑う余地もなかった。 亜希子と直之は、親同士が懇意で、二人 がヨチヨチ歩きを始めた頃から、結婚させよとうと取り決めた仲だった。 気に沿わない相手なら、そんな親の取り決めなどと図らずも抵抗しようとするとこ ろだが、お互いに相思相愛の二人は、むしろ親に感謝していたほどだった。 出世も約束され、将来を共にする最良の伴侶も決まり、 直之と亜希子の人生は順風漫歩かと思われた。 しかし、そんな直之を快く思わない連中もいた。 そんな連中は、直之を落とし めるため、当時、国から廃絶されていた共産主義者のレッテルをデマの噂で貼 り付けた。 人は、興味本位な噂を信じる者である。 ましてや、村一番の秀才と唱われる直之が、その噂の的となれば、 もはや留めることなどできない。 直之は、根も葉もない噂によって官吏の地位も将来の名誉も失った。 「せめて、国の為に死にたい」 直之は、そう亜希子に言い残して志願兵となり、当時開戦したばかりの太平洋 戦争の渦中に飛び込んで行った。 それから丸4年経ち終戦となっても、直之は帰って来なかった。 その間、亜希子は心ならずも、直之を窮地に追いやった村 長と結婚していた。 そして、お腹に子を宿して一ヶ月の里帰りを終えて、夫の元に帰ろうと我が子 を胸に抱き歩き出した亜希子の前に、ひげ面軍服ゲートル靴姿の男が、亡霊の ように現れた。 「久しぶり・・・幸せか」 そう言った男は、あの直之だった。 答えに困って震えている亜希子に直之は 「死ねなかった。シンガポールから満州からシベリアまで行ったが、このとお りピンピンじゃ・・・さらば」 と泣きじゃくりながら亜希子の前から去って行った。 その後、直之が村を離れ東京に行ってしまったこともあるが、 直之と亜希子は一度も顔を合わせてはいない。 10年ほどのブランクの後、直之は、戦争体験を題材とした小説を世に 問い、日本が誇る大作家へと階段を一気に駆け登って行くことになる・・・ 亜希子は、あたかも高僧のように悟りきった最近撮影されたという直之の写真 を見ながら、 「久しぶり、幸せだった」 と、独り呟いた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.23 08:23:58
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