美しいものって何だ?
・・・「美しい」というか、人の心を掴むもの・・・ですね。
「魅力あるもの」というか。
それって何だ?・・・とか、よく考えます。
・・・で、私の場合はまず、
「そこまで求めていなかったもの」だと思うんです。
私なんかは漫画大っっっ好きですので、
ものすごく魅力的な作品・・・って、
「どんだけ!?どんだけ凝るの!?どんだけやれば気が済むの?
ここまでしなくても、私はこの作品を消費したし、楽しめたよ!
果てがない!っていうか、
作者様がこれで満足してないのがアリアリと分かる!」
ってものだと思っています。
↑こういったものを感じる作品・・・というのは、
やっぱもう伝わってくるパワーが本当に違うんですよ。
感動とは、「驚き」や「衝撃」のことだと思うので。
「漫画」という媒体の面白い部分は、
「一人の作者様」が生み出すものであるところなんです。
関わった人数が多くなればなるほど、
作品の見どころは増えてしまいます。
もちろん、見どころが増えるのはいいことでもあるのですが、
作品を享受した際、「この作品が何なのか!?」
・・・なんてことをずーっと考え込んでしまう癖のある人間(←私のような・・・)には、
眩し過ぎて観ていられなくなってしまう。
・・・「漫画」という媒体は、
現在定着しているメディアの中では、
「一人」でやることが一番多い媒体だと思うんです。
・・・ただ、この辺りは、PC・ネットワークの発達なんかで
今後変わっていく部分だと思うのですが。
話を作って、絵を描いて(もしくは自身が演じたりして)、
それに音をつけることも、動かすことも可能になってきているので。
ただ!これ以上やることが多い・・・となると、
まず作品を完成させることが困難であり、
「自身で全て作る」、というものではなくなると思います。
・・・もちろん、天才はやってのけてしまうかもしれないです。
ただ、妹を見ているとつくづく感じるのですが・・・
一人の人間に出来る創作活動って、本当に限られてる!・・・と思うんです。
・・・例えば・・・「絵を描く」のって、本当に大変なんですよ!
傍から見ての感想なんですけど。
あれだけの情熱を持って「絵を描くこと」に勤しんでいる妹ですが、
「下手だ、下手だ」ってず~っと言ってます。
「今度はここを詰めてみる。あ、そこに対する意識が途切れちゃった、やり直し」
・・・の繰り返しです。
私には絶対無理です。あんなの。
「漫画」って、それが工程のほんの一部なので、
・・・更にそれ以上のことを一人でやる媒体・・・というのは、
今の段階では想像がつきません。
(漫画でさえ、半分アウトな媒体だと思っていますし。)
・・・で、どうなるのかな?と考えると・・・
「持ってきて編集」になるんです。
・・・まぁ、今現在漫画も何も全てですが、
どれだけ既成概念を取り込むか、
常識や定着している物語を有効に使うか、・・・勝負みたいなものですので、
それが、もっともっと許容される風潮になるのではないかと思います。
作ることと同じくらい、「有効に使うこと」に価値が産まれる。
・・・今までも経るプロセスとしては何も変わらないとは思いますが。
ただ、そこまで含めて「アーティスト」という認識は、
インターネットによる二次創作活動などによって、どんどん一般化していると思います。
例えば・・・動画サイトの発達によって、
アニメーションやドラマ・映画の映像を用い、加工した映像作品・・・
既成映像と既成音楽の編集ですが、
これを行う人も、認識としては「アーティスト・作家」になっていますし。
だって、実際にすごい技術なんですもの。
映像と音楽、お互いに高めあうソフトを持ってきて、
どちらの価値も高まるように絶妙な演出をほどこす。
情報まみれで訳分からなくなって・・・
価値観の移行期がもうずっと続いている「今」ですが、
「情報」の価値って・・・上がってるんだか下がってるんだか;;!?
見方によりけり・・・ですが、確実に言えることが一つ。
「情報選別」の価値は間違いなく上がっています。
情報の真偽。
変わるものと変わらないものの見分け方。
価値基準の使い分け、誰に、いつ、何を提供すればいいのか。
また、何を受容すればいいのか。自分には何が必要で、それはどこにあるのか。
情報同士の相称、その法則。
情報が多すぎるんです。
個々の情報の価値は下がってきている・・・
しかし、「情報の選び方、処理の仕方」の価値はますます光り輝くんです。
10000字制限に引っかかりました;→続き。
by姉