福井県・一乗谷へ行ってきました!
小谷城と続けて。
浅井・朝倉巡りでした。
一乗谷は、朝倉氏館を中心とした山間の・・・天然要塞というか、
約100年間栄えた、小都のような場所です。
真ん中には一乗谷川が流れており、
この水を生活に取り入れる工夫が、遺構の各所に観られました。
信長に潰されてより、洪水?などで上に土が溜まり、
ほとんど手つかずで遺構が残っているそうで。
朝倉氏というと、大抵織田方目線で描かれる戦国モノの作品ですと、
・・・あまりイイ風には描かれない・・・、
っていうか重要視されないというか。
浅井の描写に一生懸命にならざるをえないので、
その背後の一族~・・・くらいな扱いになっちゃうのが
ほとんどのような気がします。
私自身、「朝倉氏」の印象というものが・・・
今までほとんどなくって。
小谷攻めの経緯をたどっても、
とにかくいいところがないんですよ;
ただ今回、一乗谷に行って観て、
文化的な面に非常に長けた一族だったんだ、というのが
すごく入って来ました。
朝倉氏館跡。
建物全体に水路が整備されていました。
こちらの庭園・湯殿跡庭園は、石の位置配置がすごく練られているそう。
確かに、どの角度から観てもカッコよかった・・・かもしれない;
館内に水を引き入れる為に、
川の上流から、高さを利用して館の方に水を持って来ています。
この朝倉氏館より、山を登って行くと、
要害の際の「一乗谷城」があるみたいです。
信長に攻められた時は、
一乗谷に至る前に軍勢のほとんどを散らされてしまい、
この城に籠ってはいないようですが。
縄張り図を観ると、これまた結構な規模の山城のようなので、
ここも観に行ってみたいなぁ・・・。
観光で行く人は少なそうですが;
館の対岸には武家屋敷が並んでいたそうで、
その一部が復元されています。
この一乗谷には、貴族・僧侶などの文化人が数多く住んでいたそうで、
あらゆる面で、文化水準が非常に高かった・・・とのこと。
ガイドさんも、
「京都まで行かなくても、この一乗谷の中だけで学べるレベルに」
という意識があった、・・・というようなことをおっしゃっていました。
やっぱり京都が近い遺構になってくると、
弱肉強食の安土桃山の、超臨戦態勢・・・とは、
また少し違った感性を感じますね。
現代に育っちゃうと、どうしても・・・「京」の感覚がないんですよ;
信長が当然のように、西に、西に行きたがったのも、
東京中心に考えちゃうと、現代の感覚でとっつきにくくって。
感覚を掴むのって、難しいなぁ。
一乗谷は、館跡がどうの、というよりは、
谷全体の・・・整備された都市として、頭に収まり易かったです。
朝倉氏の印象というのが、かなり変わりました!
(というか、いままで全くなかったところが肉付いた感じ!)
かなり特殊な遺構だと思うので、
「お城」とはまた違う面白味がありましたよ。
by姉