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カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日会った
友人たちとの旧交について書きます。




×メとは女子寮で
同じ部屋だった期間があります。

×メは女子大生なのにバンカラ学生風で(笑)
嘘は付かない

裏表は無い
お世辞は言わない

人を選ばず誰にでも同じ態度で
本当の事をずばずば言う

説教口調で物を語る
いつも本気で強気のくせに

情にもろくて世話好きで
そのくせ
芯が弱い所もあって

実に個性的で可愛い女性でした。


同室になってからは
かなり愉快な寮生活を送る事が出来ました。





○ー○は小柄でちょこまか動く
リスのような女の子でした。

働き者で
クラスの世話役もやってくれる
頑張り屋な人でした。


1年生の初めての油絵の授業で
彼女は生まれて初めて油絵を描き、

それはそれは
赤と緑の

心の混沌の表れのような

実に個性的で印象深い静物画を
描いたのでした


アトリエで、
りんごや皿を乗せた台を
25人ほどがぐるりと囲んで絵を描き

その後は皆で
感想や批評を言い合います。

まるでゴッホの混乱の図のような
○ー○の絵を見た油絵の先生が

言葉を捜していた記憶があります。


その○ー○はその後、

1年生でも出入りしても良いと
許可してもらった彫塑室の隅っこで

毎日毎日、
放課後に一人で油絵を描いていました。


私は寮生なので、
寮で絵を描く事は禁止されていたため


(寮には家政科の人もいて
着物や洋服地を広げて縫い物をするんです。

それを汚してはいけないので
寮で絵を描いてはいけなかったのです)


夕方はいつも大学の教室にいて
絵を描いたり、

焼き物の窯場に入り浸って
粘土こねをさせて貰ったり、

ろくろを使わせてもらったり
色付けを手伝わせてもらったり

学内をうろうろしていたので
○ー○が一人で頑張っている姿を
こっそり見ていたのでした。


私は寮生数人でいる時がありましたが、
○ー○はいつも一人で絵を描いていました。


そして4年生になった時の○ー○は
リトグラフの名手となっており

1年の時の混沌はなんだったの?!!

と言うくらいの
とても繊細で精密で
美しいリトグラフを作り出す人になっていたのでした。

そして○ー○は今もリトグラファーです。



リトグラフとは版画の一種です)



○ー○は4年間のうちに大きく変わって
学年でも唯一と言えるほどに

自分の世界を作り出し
自分の技術を磨き上げた人でした。






先月、その○ー○から電話が来て
1日に×メが出張で仙台に来るから会おうよ、

と言うので二つ返事でOKしました。


私は同級会や同窓会が苦手で
その類のものには20歳の頃から出ていません。

小・中・高の私なんか
思い出したくもないと言う気持ちもあります。



でも個性的な×メと○ー○となら
楽しい会話が出来るかもしれないと思って
楽しみにしていました。


残念だったのは
一緒に誘われたK子ちゃんが

お母さんのお世話があって
来れなかった事です。

性格の和やかなK子ちゃんがいたら
随分愉快になったろうと思いました。



ですが、二十数年振りに合った二人は
やっぱり個性的な人間のままでした~♪




ご飯を食べに行って近況を話しました。



私の場合、
娘(中2)が小学5年から不登校で

息子(19歳)が専門学校に入ったものの
今は休学中で

夫はうつ病が悪化していて
しばしば仕事を休んでいて

私はと言えば
娘の不登校を切っ掛けに

素晴らしいカウンセラーに出会い
色んな事に気づき始めたら

娘の不登校どころじゃなくて
自分の子供時代からの山のような問題を

私が抱え込んで切羽詰っている、
と言う現実に気づいたものの

自己中な母と
そっくりな夫と結婚してしまった事に
つい最近気づいてしまったが、

以前は横暴で自己中な夫の
言いなりになっていて
私は心身症になって長い事寝込み

床を這って移動していた時もあったけれど
最近は大分元気になったので

生き方を考えている所で、

夫が一番攻撃しやすかった息子も
心身症だったが

最近は私が間に入って息子を守り、
息子にも我慢しないで
言いたい事は言いなさい!

って言うようになってから
息子も元気になって来たの。

夫も段々変わって来て、
今では同じ人じゃないくらいに
穏やかになったけど

感情を抑えている為なのか
うつ病が悪化しているので

親切にしなければ、と解っているのだが
長い間ひどい扱いをされて来た為に

恨み辛みが積み重なっていて
なかなか優しい気持ちになれなくて困っている。





なんて話をしたら、
×メが

「なんだ、あんた
私と連絡を取り続けていれば良かったのに」

と言い出して、×メも

息子さんが中学に入る時に
夫が調度転勤になって

転校してからいじめにあって
一時期不登校になり、

×メがカウンセリングを受けて
「これは親が変わらない事には
何も進まない」

と決心して夫に何度も話しをし、
話しては突き放され

話しては突き放されても
頑張って話し合いをしたある夜

夫がとうとう「解った」と言って
夫婦で変わる事を諒解し合った翌朝、

息子が「今日から学校に行く」
と言ったのでびっくりした。

と言う話をしてくれました。



学校に行くと「死ね!」と言われ
色んないじめに合うため

中学1年なのに何度も胃潰瘍になって
穴が開いては血を吐いて

何度も入退院を繰り返しての
突然の息子の変化だった。

と言う話でした。



そして
「あれがあったから
今この仕事をしていられるのよ、あたし」

と言って渡して寄越した名刺には
福祉関係の役職が書いてありました。


「あんたみたいに夫からのハラスメントや
不登校児や児童虐待の人たちの
相談員なのよ、あたし」


こっちもビックリでした!!!

×メがそんな仕事をしていたなんて!!!
全く知りませんでした。




×メも私と同じで
存在を許してもらえない子供時代を
過ごしたそうです。


「だからあんなに自己主張が
はっきりしていたんだね」

と言うと

「あらあんた、
あたしはぼんやりした子だったでしょ」

と×メ。


「え~~っ!×メはハッキリした子で、
クラスでも特別個性的な存在だったよ」

と私と○ー○。


「そう~~お?

中学や高校の友達は
あたしをぼんやりだと思っているよ」

と×メ。



×メは自分の子供時代の事や
子供を育てて経験した事を大切に育んで

それを仕事にして
しかも人を助ける仕事をしているのでした。


どうりで学生の頃より丸くなって
ど~んと芯が太くなった感じがしました。

学生時代の脆さがなくなり
とても頼りがいのある存在になっていました。





親の話になって、

「うちの母は認知症になったら丸くなって
私にゴメンネって言ったんだよ」

と私が言ったら、×メが

「あら~良かったじゃない、
あの鬼のような母親がそんな事言うなんて」

と言うので


「×メは私のお母さんが
恐ろしい人だって知ってたの?!」

と驚いて聞くと


「だって強烈だったじゃないの、
あんたのお母さんは。

お父さんが後ろにぼやけて見えたわよ。

あんたはお母さんを憎んでいたくせに
一緒にいると

お母さんを庇うのよ。
不思議だったわぁ」



なんと、ちゃんと見ていたんですね
×メさんは!!

とまたまた驚きました。

だって寮に来た時や
卒業式の時に会ったくらいのはずなんです。





「私は小さい時から
人の事だとガンガン言えるのに

自分の事は言えないのは何故だろうって
ずっと謎だったんだよね。

カウンセリングを受けているうちに解ったのは
私はアダルトチルドレンで
否定されて育ったから

自己主張がちゃんと出来なくて、
今もそれで困っている」


と言うと×メが

「そうそう、

あんたは人の事はすごく庇って
何でも言うのに

自分の事はいつも我慢するのよ」

なんて言うんです。


「ええ~~~っ!!
そこまで私の事解っていたの?」

と驚くと、

「解ってるわよ。
あんた、あたしを誰だと思ってるの?(笑)」


近くに
こんなに私の混乱を理解している人がいたなんて

今まで気づきませんでした。



×メは私の事を随分知っていて
でも私は
自分の事が見えていなかったのでした。

だけど×メの面白くて個性的な所を
自分で気づいていなかったみたいなので

やはり自分を客観的に見ると言うのは
とても難しい事なんだな~と思いました。




奇しくも子供の不登校を経験して
その道に進んだ×メさんと

今も美術の仕事をしている○ー○。


面白い人はいつまでも面白いものだと
楽しいひと時を過ごしました。




最後に×メに言われたのは


「あんた少し家から出なさいよ。

じゃないと娘にあんたの影響が
出過ぎるようになるわよ。

お互い自分の時間を持たないと
駄目よ」


ばっさりと言われました。



にゃるほどね~~~。

もう出ているんですよね
影響は。

娘は個性的な性格と感性ですが
毎日、一日中一緒にいるので

どうしても似てくるものがあります。



私は私の世界を築いていかないと
私のためにも娘のためにも

行き詰ってしまうかもしれないな~
と思いました。


経験を重ねた人の貴重な一言でした。
ありがとうね~×メさん。




○ー○は今回聞き役に回ってしまい
申し訳ない事をしました。

×メと私の経験が
あまりにもリンクしていたため

×メと私中心の話になってしまったのでした。



「また会ってご飯を食べようね」
と○ー○は言って
夕食をご馳走してくれたのでした。


×メは仙台の街中に来たのは
学生時代以来初めてだと言い

次がいつになるか解らないので

「じゃあ~当分会えないかもしれないから
触っとく!」

なんて言って、
私は×メを撫でさすりました(((((^m^;




学生時代と同じ感覚で話が出来るって
素適な事なんだな~と思いました。

K子ちゃんとはいつもそうなんですが
本当に最近はK子ちゃんとしか会っていなかったので

他の学生時代の友人とも
何の気兼ねも無くザクザク話が出来たのは

楽しいものでした。


しかも、
娘の不登校や私の混乱や
心身症についてするすると話が出来たのは

すごい事だったと
今思い出すと驚きです。



やはり、
子供達の苦しみを共に味わった人は

その裏や奥にあるものを
しっかり受け取っているものなんだな~と

驚いた次第です。




有意義で珍しい時間を過ごしました。

帰りに駅の中にあるパン屋さんで
○ー○からご馳走になった分の大量の菓子パンを買って
帰途についた私でした。

いや~~、
私だけ美味しいものを頂くなんて

とっても罪悪感があったものですから。(^^ゞ



友達と会っても
無意識のうちに私は母親なんだなと思いました。

お母さんになって
19年半も経ってしまったんだもの。

これから少しずつ
私だけに戻るようにして行こうと思いました。

子離れの時に自分が無かった
なんてならないように。

















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Last updated  November 3, 2006 02:08:08 AM
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