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テーマ:自分を知る(166)
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先日、車が使えたので
早番バイトの娘を送って行きました。 朝、慌てていて 車中の音源の準備が出来ず 静か~な車で移動中に ついつい娘の名前遊びが出てきました。 「ピクチャカチャッチャ~ ピクチャッチャ~♪ ピクチャッチャッチャ~~♪ ピクピクチャッチャ~~ ピクチャッチャ~~♪ ピクピクチャッチャッチャ~~ ピクチャッチャカチャッチャ~~ ピクチャッチャカチャッチャッチャ~~~♪♪」 名前がどんどん追加されて早口になる自分が可笑しくて つい笑ったしまったら 「自分で始めて何笑ってんの」 と娘に突っ込まれ 益々笑ってしまいました。 マシロについては 「チロプー チロプー チロチロチロチロチロプー」 を繰り返し繰り返し(((((^m^ く~たんは 「く~たんたんく~たんたん く~く~たんたんく~たんたん♪」 を繰り返し繰り返し(((((^m^ ラーのは 「たくちゃんの~はやぽんぽん は~や~ぽんぽんはやぽんぽん♪」 を繰り返し繰り返し(((((^m^ ハッ!!これだ!!! これは父の唄だぁぁぁ!!! 父はいつも仕事から帰ると 必ずパジャマとガウンに着替えて ツトム君(ちょっと知的障害なオスの黒猫) をおんぶして唄を歌うのでした。 「ツトム君のはやぽんぽん♪ は~や~ぽんぽんはやぽんぽん♪」 とか 「ツ~ト~たったツトたった♪ ツトツトたったツトたった♪」 とか、 背中のパジャマとガウンの間にツトム君をおんぶして あやしていました。 そう言えば私が子供の頃 祖母からお給料を搾り取られてお金がないのに 2匹のシマリスを飼っていた事がありました。 メスはモンコ。 オスはチャクロ。 二匹合わせてモンチャクロ。 リスの大きなゲージの前で 父は歌うのでした。 「モンチャクロ♪モンチャクロ♪ たかさきせんせのモンチャクロ♪ モンコとチャクロでモンチャクロ♪♪」 これを繰り返し繰り返し 何度も歌っていました。 小さい頃からそんな父を見ていたので 特に不思議に思わなかったのですが 大人になって色んな人を知るにつけ 父のあの謎の唄の謂れが気になって気になって。 でも父が存命のうちは聞けなくて 後に母から聞いたのですが なんと「たかさきせんせ」は 実在する先生だったんです!! そして高崎先生の家で飼っていた 犬だったか猫だったか (最近はそう言う細かい所が曖昧になって来ました) の名前がモンチャクロだったんです! 高崎先生とは 父が通った小学校の先生で 父にとっては恩師だったらしいです。 祖母の実家で育った父を 叔父さんがどこにでも連れて行ったそうで、 その出先の一つが高崎先生だったそうです。 父とは直接話しをした事が殆どないので 色々聞きたい事があったな~と、 今頃思います。 父は真面目で誠実で単純で働き者で 朗らかでほがらかな反面、 大人になるまで親類の家々で育ち 母親と妹と暮らし始めるとそれぞれの重荷を背負ったので 心の中の事は一切出せない人になって 負荷を感じると遁走する人であり、 たまに溜め込んだ怒りを爆発させていました。 父とはそもそもの本質が似ている点に加えて 小学校に入るまで親類の家で暮らした私と 似た構造反応があるな~と思うこの頃です。 父は口腔癌、私は甲状腺癌。 口から思いを出さないで溜め込むから 喉や口に苦いものが沢山溜まっちゃっうんですね。 私も鈍いから還暦近くになって ようやく見えるようになった色んな事があります。 お父さん、あなたが長生きしていたら 私と心を通わせられたかもしれな・・・う~んヽ(゚∀。)ノ 夫と娘が説明しなくても理解出来てしまう事が 色々あるのを見ていると 父と私も近過ぎて嫌悪したのかなと思ったり。 兎に角父の周りには 容易に近づけない厚くて高い壁が回らされていたのでね。 さぁ~て、私と傾向が似ている息子っちは 広島でどんな風に生きているのやら、 何にも分かりませ~ん。 今回、腸が痛くて何度も入院・手術・死の覚悟をしましたが 息子と交流できるうちに手紙でも書こうかな。 面倒臭がって、ヤツはメールを読まないんです。 手紙なら読むかしら? そうだ、生きているうちに やるべき事をしとこうって思ったんだった!! 逃げる傾向は父から私から息子に流れているので 頑張って踏みとどまらないとね! 今日もピーの名前遊び唄から 巡り巡ったなぁ~~(^。^)/"" 巡りついでに近くの木漏れ陽階段 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 15, 2015 12:07:29 PM
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