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h-ymmt405
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遠隔催眠での想念による対話を行うと寝ても覚めても、終わらない場合がありますので気をつけなくてはいけないけません。言葉の対話なら、相手がいなくなれば終わりますが、心の中の相手など、居なくはなりはしないのです。正常な精神活動を維持するには、上記よう現象を遮断できるか?どうか?になります。自分で、遮断できなければ、除霊など他に頼る他ないのです。 自分でできる遮断は、想念活動の内容を日記などの、文書で表わしておくことが一つの方法です。点検反省する必要はあります。他人に見せなくてもよいのです。公開する必要があれば、自分の都合の良いところだけ拾えばよいのです。送念の相手との公開の行い合いになれば、公開できなくなった方が、相互の想念活動から去らなくてはならなくなります。 けしからぬ想念が繰り返し、しっこく想念の中に出てくれば、「出る所に出てみろと」言ってから、蹴ったくるより仕方がないのです。(想念の中のことですので、現実の言葉ではいけません)それができなくなれば、相手に侘びなくてはなわなくなり、想いでは如何に謝っても解決しませんので、結局、現実の言葉で謝らなくてはならなくてはならなくなります。 現実に謝れば、何に付いて謝るか、と云うことになりますので、現実の問題として、押さえ込まれることになるのです。気をつけなくてはいけないことは、想いの中での対話は、一種の自問自答ですから、良心の呵責がそうさせる、とも言えるのです。上記の現実の相手に謝罪しなくはならなくなると云うことは良心の呵責がそうさせる言えるのです。 ですから自分が特定の相手を想定していたとしても、現実に相手も想念で対話していたと、断定できません。ですから、謝罪することはよいとしても、非難することはできないのです。想念の対話を外に表わす場合は、特定の相手としてはいけません。単に「カクカクシカジカの想念が生じる」と云うことで、特定人から送念されたものか?どうか?を突き止めることは、自分の課題になるのです。 但し上記に関しては、親密な人でこの世を去った人なら構いません。この世を去った人には、乱暴な言葉は言うべきではありません。諭さなくてはいけないのです。この世に在生する人でも、気さくに話し合える間柄の人も問題ありません。そうでない人は後で誤解が生じたり、確かめたりすると心証を悪くします。気をつけなくていいけません。ちなみに私は、他人相互間の心の対話を遮断する能力はありません。 尚、私の想念の中に繰り返し出てくる未解決現象は、オハラ樹脂工業で谷口建彦の顔を見た件については、彼が勝手に私の職場に関わったことですので、コチラから挨拶に出向く必要はないと思っていました。GLA側は、今更職場などに出向なくても、当時文書でやり取りしていた、関芳郎氏が一言、遺憾の意味を伝えれば済むことだったのです。實君をGLAに誘ったのは、このような展開になることは思いもよらなかったのです。トヨタ&GLAの責任なのです。 2007年12月15日⇔木漏れ日の空間「遠隔催眠による心の対話について」より