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「群れにとどまっていても、安心はできないよ? 飛び出した本人ではなく、隣にいた者がやられる場合があるから。飛び出す動きで靄が揺れ、濃淡が出来て、|向こう《“鬼”側》から周囲が透けて見える瞬間とかにね。<欲>自体は誰でも持っているものだから、“鬼”の取り憑く受容体は誰にでもあるのさ。そんなわけで、飛び出さなければ安全、というわけでもない」
風邪やインフルエンザ、今の新型コロナでも、用心も対策もしてるのに、何故か不運にも感染してしまう人がいるのと同じ、と伯父さんはつけ加える。 「……」 自業自得、というなら納得もできるけど、自重自粛してるのにとばっちりを食らうのは理不尽だと思う。危険度は違うんだろうけど──。 「そんなん、どうしたらいいんですか……」 「わからない」 微笑んだままで、伯父さん。 「え?」 「私が何でも知ってると思ってたかい? なら、それは間違いだよ、何でも屋さん。ここの|主《・》だって全てを語ってくれるわけじゃないしね。私も聞かないよ、只人の身で、知っていいことには限りがある──」 「え!」 俺は、正直驚いた。この人の口からそんな台詞を聞くとは。知ることができるなら、どんなことでも何でもかんでもとにかく知りにいこうとするんだと思ってた。 「おやまあ、おかしな顔をして。そんなに意外かね?」 くすくすと、伯父さんはとても楽しそうだ。 「だって、私はまだ生きていたいし、人間でいたいからねぇ」 「え」 それって、どういう意味──? いやいや危ない、ここで聞き返しちゃあ……。 「隠されたり、隠れていたりする物事の真相を知るのは好きだよ。古い道具たちが問わず語りに垂れ流す、ぐだぐだした昔語りを聞くのも大好きだ。表には裏があって、裏にも表があり、どちらを見るかどちらも見るか、思案するのも楽しくて、ワクワクして仕方ない。だけどねぇ、この世の|理《ことわり》を外れることは、私はしないよ。|ここ《賽の河原》にいるのは、要請されたからだしね」 「何故、ですか……」 この人なら、好奇心の赴くまま、どんな禁忌でも冒しそうなのに。 「理から外れてしまったら、私なんか**になってしまうもの。人間でいられなくなってしまうよ。そうなれば、自我を保てるかどうか」 「……」 だからその、**ってあたり、耳がぐにゃっとなって聞き取れないんだってば! ──なんで俺、何故、とか聞いちゃったんだろう……。 「自我が保てなければ、私のこの、ドキドキワクワクする無邪気な心も消えてしまうじゃないか」 後悔してる俺の耳に、びっくりするような言葉が聞こえた。 「む、むじゃき?」 つい、繰り返してしまう。自分で言う? どの口でHow dare yo、とその口を見ようと思ったら、謎の薄柄マスクの向こうに隠れていたので思わず目を見つめてしまった。それなりのお年なのに、白目部分が濁ることなく子供のようにキレイだ。まるでタウリン2000㎎配合の餌を食べてる猫みたいな、キラキラした瞳。 「ん? 無邪気でいけなかったかい? あの子には『子供のように残酷な無邪気さがありますよね』とか言われてるんだが」 「……」 甥っ子のほうの真久部さんに同意。蟻地獄に落ちた蟻を、結末がわかっているくせにどうなるのかをわくわく見つめているような、無邪気な邪気──。空気のように纏う薄い毒を、俺はいつもこの人に感じている。 「楽しい、面白いと、感じるのは心だ。心がなければ、何を見ても聞いても感じるものがない。感じるものがなく、退屈だったとしても、それすら判断できないなんて、嫌だろう? だからさ、心を失うようなことはしたくないんだよ」 我ながら、見境のない**になりそうだし、と穏やかではないことをさらっと言う。 「私はこれでもこの世が好きなんだよ。その一員でいたいから、世を統べている理には従うし、外れるようなことはもちろんしない」 「……本当に?」 「本当だよ。私もまた、きみが喩えたヤジロベエのひとつさ。<人・“鬼”・きれいなもの>という三つの腕を持つヤジロベエ。理のギリギリの|際《きわ》で揺れてる自覚はあるけど、こう見えて私はバランスを取るのが上手いんだ」 そう言った伯父さんは、今日一番の怪しい笑みに目を細めていた。……うう、背中が寒い。 「そう、バランスを保つことができるなら、“鬼”に飛び乗られても大きく傾くことなく、そう簡単に魂を乗り物にされなくても済むんだが──」 「難しいですよ、そんなの……危なっかしく揺れてる自覚なんて、ほとんどの人には無いですよ」 ゆらゆら、ゆらゆら。足元の不確かな崖の上で、頼りなく揺れるヤジロベエの群れ。その腕のひとつに、いきなり荷重が掛かったら──。 「だから支え合うのさ、お互い様の気遣いの靄で。ぼんやりとでも繋がってさえいれば、傾いてもどこかで引き戻される」 「そういうものなんですか?」 それなら少しは心強い、ような気がする。 「ああ。それでも間に合わない、今回の疫病みたいな場合もあるけれど、それはそれで仕方ない。人と“鬼”のイタチごっこは無くならないのだから。きれいなものはそのふたつと一緒に揺れるしかないしねぇ」 まあ、単純に見えて複雑な力学が働いてるのさ、と伯父さんはつけ加える。 「それは人の身には伺い知れないことだ。だけどまあ、世に疫喰い桜みたいなのが出てくることもあるから、人のほうにまだ分があるかもしれないね」 そう言って、鯉のループタイを軽く弾いてみせる。 「あれ? なんか……」 さっきまでのツヤが。照りが。生気が、ない。 「なんか、くすんでる……?」 つづく……。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.07.20 12:00:04
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