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俺は間抜けな顔をしていたと思う。お祖母さん孝行の彼女も、傘の中でパカッと口を開けているけど、そんなことは一切気にせず、山田さんは続ける。
「ほら、駅前商店街に、戎橋心斎堂ってお店があるでしょ? あそこ、エビスヤのお孫さんが脱サラして始めたのよ」 「ええっ! そうだったんですか?」 驚いた。だって戎橋心斎堂といえば、何でも屋の俺の顧客様。商店街でのイベントなどの際には、ちょくちょく声を掛けてくださるし、年末には餅の配達を頼まれることもある。 「そうよ。息子さんの代に、チェーンの和菓子屋が進出してきてね、一気にお客を取られてしまったの。その時にお店を仕舞ったのね。チェーン店の方はほんの数年で撤退しちゃったんだけど」 嫌だけど、よくある話よねぇ、と山田さんは溜息を吐く。 「当時、ちょっとご病気をされたのもあったみたいよ。お孫さんは店を継ぐ気は無くて、大学出て、けっこういい会社にお勤めだと聞いたけど、実家が家業を廃止したことで何か思うところがあったのかしらね。お父さんの下で十年くらい二足の草鞋で修行して、商店街に空きが出たとき、会社辞めてそこにお店を出したのよ」 「そんな事情があったんですか……」 あそこの店主はわりとのほほんとして見えるけど、努力の人だったんだなぁ。 「でも、どうして店の名前を変えてしまったんですか? 愛着ありそうですけど」 「もちろん、<エビスヤ>を引き継ぐつもりだったそうよ。でも、その名前は縁起が悪いからダメ! ってお父さんに大反対されたみたい。チェーン店が来たときに、かなり大変な思いをしたらしくて。それでも<エビスヤ>の名前を残したくて、今の店名にしたって聞いてるわ」 カタカナを漢字にして、さらにちょっと捻ってみた、らしい。<エビスヤ>と<戎橋心斎堂>かあ。確かに字面は全然違うけど、捻りすぎでは? と思ってたら、店主は大阪の大学出身だと聞いて、なんとなく納得してしまった。 「ありがとうございます、山田さん。こちらの女性、エビスヤの柏餅を求めていらしたので、同じ味がまだ食べられると聞いて、良かったです。──今日は、これでいいお土産買って帰れますね!」 さっき俺がご紹介しようと思った和菓子店って、戎橋心斎堂だったんですよ、と言うと、お祖母さん孝行の彼女は嬉しそうに笑った。 「駅前まで戻ればいいんですね?」 「そうそう。タクシー乗り場の──」 「そちらの方、戎橋心斎堂に用があるの? なら、ちょうど良かったわ。私もこれから行くところなの」 柏餅を買いに行くのよ、と山田さんは続ける。 「せっかくの子供の日なのに、孫がコロナのアレで来れないし、雨で散歩も行く気がしないって、うちの人が鬱陶しくて。相手するのも疲れるから、気分転換しに出てきたの。これくらいの雨、傘させばいいじゃない。ねぇ?」 「あはは。じゃあ彼女も一緒に連れて行ってあげてください。今日<エビスヤ>の柏餅を探しにいらしたのは、お祖母様のためなんですって」 傘だし、ソーシャルディスタンスもばっちりですよね、と言うと、二人で笑いながら駅に向かって歩き出す。お祖母さん孝行の彼女は一度振り返り、俺に向かって深々と礼をして行った。 ──そう、お祖母様と同居なの……昔、この辺りに住んでらして、お父様の転勤で……お名前、悦子っておっしゃるの? もしかして、旧姓は中村さん? ──ご存知なんですか? ──まあ! えっちゃんのお孫さんなの? 私は十志子よ、としちゃんって聞いてない? ──としちゃんって、斎藤さんちの? 子供の頃、よく遊んだって祖母が。 ──あらあらまあまあ! えっちゃんのお孫さんに会うなんて! 明るく咲いた傘の花の下、楽しそうな会話が遠ざかっていく。背中でそれを聞きながら、俺はうれしくなっていた。 新型コロナで、雨で、寂しい子供の日だけど、でも。柏餅の、時を経ても変わらぬ味が、古い縁を引き寄せて、そっと繋いでみせてくれたんだ。彼女たちの喜びが、沈みがちな俺の心を明るくしてくれる。 柏餅の妖精さんって、本当にいるのかもしれない……なーんてね! <俺>の黄金週間、ようやく終わりました。 もう六月も中旬に入りかけていますが……。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.06.10 12:00:07
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