凍えたココロ

2006/10/08(日)20:43

金木犀の、甘い香りに包まれて・・・。

抑うつ感(174)

この地域では、秋祭りが終わった頃 秋風が強く吹く。 その頃になると、金木犀の香りが くっきりふんわり漂うようになる。 その風に乗って広がり行くふくよかな 香りは、心を穏やかにさせてくれる。 今日も胸いっぱい甘い馨しい香りを 吸い込んで、スーパーまでの道々を ゆったり歩いた。 生きているから過食嘔吐するのか、 過食嘔吐する為に生きているのか、 もう区別がつかない程にまで 落ち込んでしまっている。 私の1日は、昼も大分過ぎた頃から始まり、 早朝に眠剤を服用する事に因って終わる。 その間に読書をしたり、こうしてブログを綴ったり、 過食嘔吐をしたり、様々な方たちのブログを読んだり しているのが私の1日である。 世間から隔離されている感じを覚える。 ニュースを観ていても、どこか違う次元で 起こっている気がする。 外の世界と私の世界に、透明で薄い・・・ けれども絶対に破れないヴェールが かかっている様に思える。 そして時々、自分の事なのに他人事の様に 感じることさえある。 そういう時は、防衛反応が働いて 解離状態に陥っているのであろう。 抑うつ状態は、何もかもが面倒臭くなり、 何もかもが嫌になり、動く事さえ辛いのである。 そうしてじっとしていても、 心だけは暴れまわっていて、心身共に 消耗していくのである。 ただ、夜になったら発泡酒などお酒を飲む事を 自分に許している。 夜になったら、過食嘔吐も解禁する。 但しそれは2回までと定めている。 心が自由に解き放たれる事は無い。 思うが侭に過ごしてしまったら、 自分が崩れ壊れていきそうで恐いので、 制約を決めたり、抑制したりするのである。 でもそれが『無理をしている』という 事なのであろう。 そうしてそれがエスカレートして、 自分で自分を縛り付けてしまっているのである。 本を読んでいる時・・・その時だけは心が解き放たれて いる感覚を覚える。 ストーリーの中に入っていって没頭できる。 こうして読書が好きになったのは、 子どもの頃の経験に由来する。 小さい頃、母は私に『絵本の読み聞かせ』を 毎日の様にしてくれた。 母の温かい膝に座り、抱きかかえられる感じで 絵本を読んでくれている時・・・凄く幸せな時間であった。 だから、本を読んでいるとその当時の 温かさが甦る。リラックスした気持ちになる。 読書すると言う習慣は、こうして出来上がった。 この様に、子どもの頃から虐待を受けて きたけれど、温かい想い出もある。 それを、これからも大切にしていきたいものである。 昨日の過食嘔吐は凄惨さを極めた。 もう、胃が破裂しそうな程苦しいのに、 まだまだ食べたい気持ちが膨張して 必死に詰め込み、痛い目を見た。 本当に苦しく痛く辛かった。 しかし、これは仕方の無い事であろう。 これが病症なのであるから。 だから、その行為に走ってしまった気持ちや 心持ち、それらを優しく包まねばなるまい。 抑うつが酷く、起きているのも眠っているのも 苦しかった。ぐっすりと眠れたらいいのに、 悪夢をみてぷつりぷつりと睡眠が途切れるのである。 今は少し気分の波が激しく、ゆったり落ち着くと言う事が 難しい。そしてどうしても焦ってしまう。 けれども、今日は1日しかない。過去には遡れない。 でも明日は広がっている。未来がある。 今はどんなに苦しくても、辛くても、哀しくても、 心細くても、この先どうなるかは分からない。 病症に身体を乗っ取られたままでは辛過ぎる。 だから、心の中にある寂しさ、心細さ等の想いを 蔑ろにする事なく、大切に労りたい。 そして人を愛す為に、先ずは自分を大切にして愛せるように なりたいと願って止まない。

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