凍えたココロ

2008/01/19(土)23:32

優しい月光、ぬくもり。

平穏(67)

夜、外に出たら ほんのりとした明るさを感じた。 ふと空を見上げたら、 少しふっくらと丸みを帯びた月が 月光を放っていた。 それはとても優しく、柔らかかった。 大きく息を吸い込んで、 大きく一歩踏み出した。 ゆっくり眠れて、疲れも取れてきたら、 少しずつのんびり過ごせるようになった。 今までにない感覚である。 以前は、ゆったりしたりのんびりしたりするのは 罪悪感を伴っていた。 何かしていなければならない、 悠長に構えていてはならないと。 上記の気持ちは完全になくなった訳ではない。 少しでも不安が生まれると、 忽ち私は焦り始め、強迫観念の虜になる。 しかし今日の夕方は、 比較的ゆったりとしていて 紫煙を燻らし、ミルクティーを飲み、 シャワーを浴びても疲れなかった。 それだけ余裕があったという事であろう。 シャワーを浴びて疲れるのは、 何度も“やり直し”をする事があるからである。 髪を洗うのにも順番があり、 自分が決めた基準ほど泡が立たなかったら、 また最初からやり直したり、 身体を洗う際にも、順番を間違えたら また首から肩・・・と やり直したりするのである。 だから、疲れることが多かった。 だが、こころに余裕がある時は、 「少々順番を間違えたって身体の隅々まで  洗えたらそれで良い」 と考えられる。だから、疲れない。 此処の所そんな感じだから、 今日も昨日と同じくさっぱりした気分で 乾ききっていない髪をお下げにした。 穏やかな気持ちでいられると、 母との間に流れる空気も平穏である。 スーパーで落ち合った時も、 「明るい声で良かった。今日は物凄く調子が悪いって  訳じゃないみたいやね。」 と、母も嬉しそうだった。 母が笑顔だと、私も自然と笑顔になる。 他愛ない冗談で笑ったり、 昨日作ったお鍋に追加して入れるものを 一緒に必死で悩んだり、 楽しい買い物となった。 私も、予算より少なく買い物を 終える事が出来た。 こころの状態が悪いと、余計な食べ物まで購入してしまう。 予算ギリギリまでお金を使ってしまい、後悔する。 殆どが半額の、閉店後は破棄される商品を買うけれど、 こころの状態と、購入する食べ物の 多さには関連性がある。 だから落ち着いていれば、 余計なものは買わないで済むし、 その夜の過食と嘔吐も落ち着いている・・・と言ったら おかしいが、無茶はしない。 過食と嘔吐も、無茶をしない事が大事だと、 大切に扱うべきだと主治医は仰っていた。 その意味が、少しずつ分かってきた。 ほぼ毎日のように、観月ありささんが夢に出てきてくれて嬉しい。 その日によって、彼女との関係や 環境、設定は違うけれど、 途中で必ず友達のように話している。 最初から友達だったり、 誰かに紹介されて仲良くなったり、 でも最後には離れ離れになったりと 本当に様々であるが、 夢の中でも彼女を感じられるのは 不思議だし、楽しい。 いつか、夢の中で出演料を 請求されそうなほどに 家族や友達よりも出てくる回数が多い。 今日の夢は、不可思議だった。 少し端折るが、こんな夢だった。 【ありささんには入院している弟がいた。  でも、TV番組の収録があり、私もそれに出演していた。  そして一緒にお見舞いに行こうと約束した。  収録が終わろうとした頃、私の父方の伯母が出てきて  外に出させないよう妨害してきた。  私は抵抗した為、腕を刃物で切られた。  私は憤り、その伯母さんを振り切って外に出た。  ありささんと共に、ハーレーに乗って  病院へ向かった。  ハーレーには何故か、緑の公衆電話が付属されていた。  それが流行りだという事で、  道路を見ると、確かに多くの大型バイクは  緑の公衆電話を付けていた。  そして、ハーレーを路肩に停めてその電話で  病院に連絡を済ませてから、弟さんを見舞った。  その弟さんは、私の大学時代の友達だった。  ありささんは、  「今日は、もう疲れたから、此処で寝るね。   じゃあ、またね。」  と言い、「じゃあ、また明日。」と私も言って病院を出た。】 纏めたけれど長くなってしまった。 印象的だったのは、ありささんのファッションが とても素敵だった事である。 最新のモードだった訳ではなく、 彼女に凄く似合ったファッションだった。 色使いがとても綺麗で、すらりと長い脚に似合う パイル地のスカートを穿いていた。 この夢は、主治医との診察を受けている中で 報告しようと想っている。 心身ともに疲弊しているときは、 ストーリー性のある夢を余り見ないので、 夢診断は長い間お預けになっていた。 どういった意味がこの夢に含まれているか 主治医の考えを聞くのが楽しみである。 毎晩、私は相変わらずブラッディメアリーを作っている。 それは先ず、 ロック氷を砕く所から始まる。 これは始める前まで、面倒臭いと想う。 だからそれまで、だらだらTVを 眺めているけれど、 大袈裟だが決意して始めると 案外砕くのが楽しくなって 集中できる。 無心になれるので、出来上がった クラッシュアイスの山を見ると、 何だか嬉しくなる。 それを氷専用の冷凍庫に仕舞い、 大目のクラッシュアイスを グラスに入れて、ウォッカを目分量で 少し、トマトジュースをこれまた目分量でなみなみ注ぐ。 塩でスノースタイルにするカクテルなので、 本当は予めグラスの淵にレモンを塗りつけて 塩を付けておくのであるが、 いい加減な私は、カクテルが出来上がった後で、 一つまみの塩を指で淵に飾りつける。 そして最後に荒引き黒胡椒を振る。 一口目を飲むのは、必ず母である。 いつの間にか、そう決まっている。 私も、母のために美味しいカクテルをと想って こころを込めて作る。 今日は、出来上がったとき 母はお仕事の電話をしていたので、 私はグラスを持ったまま、ぼんやりしていた。 待っている事は全然苦にならず、 寧ろ、飲んでもらえる楽しみが膨らんだ。 電話が終わった後、 「どうぞ、召し上がれ。」 と差し出したら、 「あら!待ってくれとったの?ありがとう。  うん。おいしいわあ。もう、本当  あんたは可愛いねえ。」 と、抱き締めてもらえるという想いもよらない 嬉しいハプニングがあった。 母の体温を久し振りに感じ、 その温もりが凄く心に沁みてじんとした。 たった1杯の、素人が作るカクテルでも、 母のこころと私のこころが温まった。 毎日、病気の症状は苦しい。 過食と嘔吐の症状が出る度、 「どうしてこの行為をしなければならないのか。」 と考える。主治医は、この症状が今の私にとって 【こころを保つ為に必要なもの】と捉えていらっしゃって 私もそう感じている。 心身ともに疲れ果てると、希死念慮が激しく出てくる。 自分など生きていない方が、周りの皆は 幸せになるのではないかと考える。 強迫神経症の症状や、PTSDの苦しみ。 自分の身の上に表れる病気の症状、全て苦しい。 けれども、生きねばならない。 母の為にも、家族の為にも。 そして、病気が治らないまま死んでしまうのは 悔しい気持ちもある。 身体の病気、こころの病気。 私はこれらを患っているが、 病気なのだから苦しく辛いのが当たり前であろう。 それでも生きていけるのは、 周囲の人々のお陰である。 独りだったら、もうこの世界にはいなかったであろう。 だからこそ、感謝の気持ちは 決して忘れてはならないと自分に言い聞かせている。 先日、電話診察の話し合いで、 主治医の印象的な言葉があった。 「あなたは多分大切にする人だから分かると想うけど、  1つ1つの言葉には、必ず花があるんだよ。  だから、言葉について、じっくり考えてみるのも良いね。」 というものである。 何気なく会話で使っている言葉、 そして此処で綴っている言葉。 私は想い付いた言葉を即座に、 指に伝えてキーボードを 叩いているけれど、もう少し熟考して 【1つ1つの言葉がもつ意味】を大切にしたいと想った。 会話をする際も、言葉として発する前に 一息おいて意味を考える事、 ブログを綴る時も、言葉の意味をきちんと 理解しておく事を大切にしたい。 知らず知らずの内に、私は今まで 沢山の間違った日本語を使っている事も鑑みて、 本屋などで、日本語の勉強が出来る本を 購入したいと考えている。 今は、その余裕がないので出来ないけれど、 今年の目標の1つとしたい。 言葉を大切に、その言葉に咲く花を慈しむ事。 汚い言葉、人を蔑むような、自分をも貶める言葉は 吐かないように気を付けて 生きていきたいものである。

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