テーマ:お空の我が子(14)
カテゴリ:ちぃの話
9月の中旬に、ちぃを出産した病院から案内が来ていました。
ちぃを亡くしたとき、なぜちぃがこうなってしまったのか、 上の二人のこともあったし、この先のことを考えて病理解剖をお願いしました。 以前、天使ママさんのブログでそういうのに出席された・・・というのを見てから 我が家にもそういう案内がくるのだろうか、気になっていました。 そしてやっときました。 迷わず《出席》に丸をつけて葉書を返送しました。 案内には「平服でお越しください」とあり、 いわゆる平服とは礼服までいかないけれど、きちんとした服装のことを言いますが 旦那さんはスーツを持っているものの、働かなくなってだいぶ経つ私はカジュアルな洋服しかなく、 しかもこのところの体重増加のためまともに着られる、季節に合った服も限られてしまいました。 なので二人共合わせてカジュアルながら、黒を意識した組み合わせの洋服で出かけました。 周りの方々は、礼服の人もいたり黒っぽいスーツの男性や、女性はモノトーンの服装の方が多かったです。 中にはTシャツに短パンの女性も・・・。(訳がありそうな感じもありましたが) 開催病院側の方々(教授・先生・学生さん)は、礼服、黒のパンツスーツが多かったように思います。 --------------- 天使ママさんのブログで一番気になっていた事柄。 ちぃの名前のことです。 受付をするときやはり[○○ベビー]と記載がありました。 もちろんカルテや診察券にはそのようになっており、出生届けを出したのはその後なので仕方ありません。 家を出る前、旦那さんにそのことを話して意見を聞いてみました。 やっぱり名前があるのだからベビーと言われるのは寂しいね・・・と。 なので受付で、○○ベビーでなく名前で対応していただきたいとお願いしました。 その時点で、慰霊祭の中で故人の名前がどのように使われるかわかりませんでしたが、 言うことは言おうと頼みました。 会場に入ると中には祭壇が。 小さい映画館くらいの広さの中に、病院学校関係者、付属学校の生徒さん、故人のご家族がたくさんいらっしゃいました。 正面には故人(病理解剖・司法解剖・献体された方)の名前が貼り出されており、 ちぃはやはり[○○ベビー]と書かれていました。 さすがにさっきの(受付は開式間際にしたので^^;)今では間に合わないか~っと旦那さんと話していました。 祭壇にまつられた故人は180人余り。 ベビーはちぃともう一人だけのようでした。 大きい病院でNICUもあるので、亡くなったのは2人だけではないと思うのですが、 生まれてすぐ名前も間に合わないでその上解剖・・・決心できる親御さんはそう多くはないでしょう。 私たちもできることならさせたくなかった。 こんな小さいのに、もうこれ以上痛い思いなんてさせたくない! ちぃには申し訳ないことをしてしまいました。 だけどわかったことも多く、今の治療方針にも役立っていると思います。 献花が始まり、感謝をこめて故人の名前を読み上げてくださいました。 50音順に読んでいるらしく、そろそろかな~っと旦那さんと耳を澄ましていると 「○○◆◆◆殿」 フルネームでちぃのことを呼んでくれました;; (伏字ばかりですみません・・・) 心の中で思わずガッツポーズをとってしまったのと、同時に またひとつ ちぃがこの世に生まれた事実を確認できたことがうれしかったです。 公式な文書、母子手帳、骨壷、ちぃの名前が書かれているものは決して多くありません。 だけど確実に、私のお腹に宿り生まれてきたことは事実です。 それがたとえ、ごくわずかなときだったとしても・・・。 --------------- びっくりしたことは 式の最中は、病院関係者のカメラマンが式場内を撮影していて、そのせいかもしれませんが 閉式となり会場を後にする頃になって遺族の方々(私たちなんかよりずっと年配の人ですよ)が 携帯電話を片手に、正面に貼り出された故人の(もちろんお身内でしょうが)名前を撮影しだしました。 それを見たほかの遺族の十数名くらいも 「私も撮ってくるね」と携帯片手に前へ出て行きました。 これは何の会なのでしょう。 もちろん献体された方などは立派だとは思います。 多くの故人はちぃよりも長く生を受け、思い出や記録もそれなりにあるでしょうに 慰霊祭の、貼り出されている故人の名前を撮影すること、残すことの意味が 私には全くわからなかったのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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