テーマ:プロ野球全般。(13377)
カテゴリ:野球
どの世界にも良きライバル関係というものが
存在するものであります。 プロ野球においてもたくさんあります。 皆さんはトレンディエースと言われた二人を 覚えていますでしょうか。 このネーミングに時代を感じないでもないですが、 阿波野秀幸と西崎幸広、 この二人も良きライバル関係にありました。 1987年に新人エースとして 二人は新人王争いをしていました。 最終的には両者ともに15勝を挙げる等、 甲乙つけがたい成績になりましたが、 最多奪三振の阿波野が新人王に選ばれました。 敗れた西崎もそれに値する実績が評価され、 パ・リーグ会長特別賞を受賞しています。 その後は1988年に西崎が 最多勝・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得し、 1989年は阿波野がエースとして 近鉄バファローズをリーグ優勝に導き、 前年の西崎が獲得した3タイトルに加え 最多奪三振(1987年は非タイトル)を獲得する等、 二人のトレンディエースは パ・リーグのエースとして活躍しました。 しかし、1990年に阿波野が所属する近鉄に 球史に残る名投手が入ってから 歯車が狂い始めました。 その名投手とは後にメジャーリーグで活躍する 野茂英雄であります。 野茂は1年目から前評判以上の大活躍を見せ、 投手のタイトルを総なめにして 日本ハム木田勇以来の新人王&MVPに輝き、 阿波野はエースの座を明け渡してしまいました。 これを境に阿波野の成績は落ちていきました。 一方、西崎はエースではあり続けましたが、 阿波野と共にリーグを引っ張っていった輝きは 失われていました。 西崎が1995年にノーヒットノーランを達成した時に、 「忘れた頃にやってくれた!」と思いました。 はい、「忘れた頃」だったんです。 やはり西崎は阿波野というライバルがいてこそ 輝けたんです。 阿波野にもこれを刺激に輝きを取り戻して欲しいと 大いに望みました。 この時、阿波野は既に巨人に移籍してましたが、 全く勝てずにいました。 その後、阿波野は横浜ベイスターズに移籍し、 目立たないながらも中継ぎで頑張りました。 西崎も西武ライオンズに移籍して、 リリーフで頑張りました。 阿波野は1998年に50試合も登板し、 西崎は1999年に20セーブを挙げています。 結局は、二人ともトレンディエースと言われたのが 過去の事になっても、 それだけの働きができる投手だったんです。 阿波野あっての西崎で、西崎あっての阿波野だったんです。 お互いの存在がなければ、 全盛期を過ぎてからこれだけの働きは 果たしてできたでしょうかね。 またこんな良きライバル関係が出てくるといいと思います。 即決 近鉄 阿波野秀幸 ベースボールアルバム 美品:楽オク中古品 即決 阿波野秀幸 直筆サイン色紙 近鉄14 巨人28 の2枚 おまけも:楽オク中古品 ベースボールヒーローズ3.5ノスタルジックC07L007日本ハムファイターズ西崎幸広 C07L007 ベースボールヒーローズ BBM1996 ベースボールカード レギュラーカード No.544 西崎幸広 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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